ポストコロナ「四度目の正直」2

「三度目の正直」は、一般には1回目や2回目の結果はあてにならなくても、3回目は確実である、3回目は思い通りの結果になるのだから諦めずに続けよう、という意味に捉えられています。失敗してもよい、次に成功すれば前のことは関係ない、ということであれば何回負けても構わないのかもしれませんが、負けることで被害が出るものであったとすると、2回の負けの被害を1回の勝ちで取り戻すのは大変なことです。
「三度目の正直」のもう一つの意味は、うまくいく確率は3分の1だということを示していて、その確率・勝率でも影響が出ないように備えていくことの大切さを説いています。「三度目の正直」の1勝2負は負け越しです。負け越しても落ちることがないのなら問題がないとしても、大相撲の勝敗のように勝ち越しても番付が上がらないことはあっても、負け越すと必ず番付が下がるという状態だと、負けないようすること、1勝2負になっても損がないようにすることが重要になってきます。
大相撲でも特別な地位である大関と横綱だけは負け越しても必ずしも降格されるわけではないのと同じように、負け越すようなことになっても生き残れる道を作るようにするのが、コロナ禍を経験してきた私たちが取るべき手段といえます。
まったく新たな新型コロナウイルスの変異が登場するのは、これが最後かわからないので、「三度目の正直」ではなく、次の「四度目の正直」に向けての準備も始めておくべきだということです。というのは政府の方針を信じていないからではなく、変異はウイルス感染症の特徴であり、空港などの水際対策を完璧にしたつもりでも、入り込む可能性があるからです。
日本のように海に囲まれていて、不法移民が(ほとんど)いない国で人が持ち込む感染症が拡大するというのは、どこに問題があるのか、そこも合わせて論じるのが必要で、それは企業や自治体などの危機管理においても同じはずです。
常に先回りして最大のリスクを想定して、行動を起こすべきであるはずなのに、コロナ禍で大きく低下した国民的な健康度については取り組みが大きく不足しているように感じられて仕方がありません。