「好きこそ物の上手なれ」は、どんなことであっても、人は好きなものに対しては熱心の努力をするので上達が早いという諺(ことわざ)です。好きであれば必ず上達するという意味で使っている人もいるようですが、今は未熟であっても本当に好きであったら上達する望みがあるということを指しています。本当に好きなのか、とことんのめり込んで達成するまで頑張れるのかということを見抜かないといけないということで、他にやることがないから、とりあえず楽だからということでは、この諺が示すポイントからはズレてしまいます。
今回のテーマは「好きこそ物の上手なれ」をもじった「好きこそものの上手投げ」です。上手という文字は“じょうず”とも“うわて”とも読む異音異義語です。ほかに“かみて”と読んで位置や方向が上の方のことを意味しています。
上手投げと下手投げの、どちらが相撲の技としては優れているかは別として、豪快に見えるのは上手投げのほうです。豪快に見えるもののほうが好きという人は多く、よい結果が出ることを選択するという人も多いのは事実です。
コロナ禍で大きく落ち込んでしまったことに対して、経済面にしろ健康面にしろ大きく回復させるための方策は派手なもののほうがウケがよいことから、厳しい状況にも果敢に取り組んでいくことが選択されがちです。コロナ後の対策を打ち出して戦った国政選挙でもウケ狙いの演説が多く見聞きされました。
上手投げと下手投げといっても野球とソフトボールの違いのことではなくて相撲の技のことですが、一般には上手投げのほうが有利とされています。有利であって豪快に見えるなら、そちらのほうが好まれて、稽古にも力が入るということですが、多くの人が選択することを選んでよいのか、自分の体格や体力を考えずに選択してよいのかという話を、コロナ後の活動の選択に置き換えて次回から考えていきます。