衣装というのはパッケージと同じようなもので、中身がよいもの、価値があるもの、価格が高いものを入れる箱も、その箱を包む紙も、それを入れる紙バッグなども高価な素材、価値がありそうに見えるものを選びます。高級ブランドがパッケージを安価な商品と同じにすることがないことから、包みを見れば中身の想像がつく、というのと同じ感覚で、高価な服装、凄いブランド商品を着ている子どもは、中身も立派そうに見えてきます。見た目と中身が一致しているのが一番よいわけですが、「孫にも衣装」という言葉が使われるようだと、見た目に対して実は中身は……という状態になってしまいます。
コロナ禍で子どもの学力は大きな変化がありました。学校で学ぶ時間が減ったことで学力が下がった子どもが増えた一方で、家や塾で学ぶ時間が増えたことから学力が上がった子どもも増えています。家庭の経済力が学力に与える影響は以前から言われていて、文部科学省の調査でも明らかでしたが、最新の調査では、その差がコロナ禍で広がり、裕福な家庭の子どもは高いレベルの大学に行き、卒業後の就職もよい条件のところに行けるという状態になりました。
そうでない家庭の子どもにとっては、コロナ禍と、それに続くコロナ後の社会は進学にも就職にも厳しい時代となり、ゆとり教育で競争が激しくなかった中を過ごしてきた世代にとっては天と地、天国と地獄の感覚にもなりかねない状況です。それだけに、中身と外見を一致させるような努力が必要となるということですが、コロナ禍の影響を直接的に受けた親の下に生まれた子どもにとっては自力だけでは一生懸命に学ぶことも難しい状況となっています。これを打開するには、社会的な支援が絶対に必要になり、もしも余裕があるなら、支援のために動いてほしい、動こうと思ったときに動ける仕組みを早く作ってもらいたいというのが、厳しい状況に気づいている人たちにやってほしいことなのです。