新型コロナウイルス感染症で大きなダメージを追った業界では、再びダメージを受けないように感染対策を講じるとともに、もしも再び大きな波が起こったときのことを考えて、今から準備をしておこうと動いています。それは新型コロナウイルス感染症に限らず、3〜5年ごとに発生すると予測されている他の感染症に対する備えでもあります。
そこまでのことはできないということから廃業、商売替えをした経営者も少なくありません。これまでの会社の歴史を見ても、時代に合わせて仕事の内容を変え、その内容に合わせて社名まで変えて生き残るのが世の常といえます。そんな大変革のタイミングでは、それまで会社や店とともに生きてきた人たちが、情け容赦なく切られる、配置換えの憂き目にあうというのも、必ずといってみられたことです。
コロナ禍は、これまでと同じことをしていたのでは生き残れないという厳しい教訓を残しました。その厳しい教訓の中には、他人を利用するのは、まだよいほうで、他人を蹴落としてでも生き残る、という姿があり、これまでだったら批判されるようなことが、生き残ったことで褒め称えられるようなことにもなりました。
このような時代に、他人のことを思いやる気持ちは、まさに「情けは自分のためならず」そのものです。これを批判するのは簡単なことかもしれませんが、生き残った人が自分のことだけを考えるのではなくて、生き残ったからこそ一緒に働いてくれる人のことを守ることができる、新たな事業を作り出すことで多くの人に利益が与えられるリーダーになってほしいという気持ちで見ていきたいのです。
世の中に語り継がれる経営の神様のような存在は、厳しい時代を生き抜いてきた人たちで、生き残りのために、時にはライバルと厳しく戦い、時には蹴落としても勝ち上がってきた人です。そして、社会に貢献する事業を起こし、“100年続く事業”を興したと称されました。
コロナ禍を経験して、100年続く事業やシステムが、実は危ういかもしれないということにも気づいたものの、厳しい時期を経験した人たちが次の時代のリーダーになって引っ張っていってくれるなら、“禍”(わざわい)も悪いことばかりではなかったと考えることができる時代になってほしいのです。