海で溺れる人は、勝手に海に一人で泳ぎ出して、勝手に溺れるのであったら、これは表現が合っているかどうかわからないのですが、特に問題なしと考えることができます。ところが、海に泳ぎ出すように誘っておいて、自分が溺れそうになったら、一緒に泳いでいる人につかまって、その人まで溺れさせるようなことをする人がいます。これが一人や二人であったら、それほど自分が巻き込まれるようなことはないのでしょうが、無理をして大会に泳ぎ出るような人は、新型コロナウイルス感染症の拡大の中で次々に登場しました。そして、次々に周囲を溺れさせていきました。この行為こそ、今回のテーマの「溺れる者は久しからず」そのものです。
自分が続けてきた仕事がうまくいかなくなったことが、人流が減ったためのマイナスと考えて、人流が戻ってくれば、それで元と同じ状態に戻れる、仕事も復活して、収入も戻ってくると考えている人が少なくありません。しかし、これだけコロナ禍が長く続き、緊急事態宣言を繰り返すたびに感染確認者が増えて、どんどんと追い込まれていく結果になってしまうと、人流が戻るであろうという状況になっても、戻ってくる保証はありません。保証がないどころか、ほとんど無理という状況になっている業界も少なくありません。
そう言うのは、長引くコロナ禍で、耐えてきた人が耐えきれなくなり、元の状況に戻ることを求めない、違うところに価値を見出すというように人の意識が変わってしまっているからです。獲物がいなくなった海に出て、前と同じ漁をしようと思っても、獲物のいない海、つまり成果が得られない世界での頑張り、喘ぎは自分を苦しめるだけです。その人だけが苦しむのであれば、そんな人もいる、という話で済むかもしれませんが、成功を匂わせて協力者を集め、その人たちが今こそ力を注ぐべきチャンスを奪うとしたら、「溺れる者は久しからず」などと言って傍観しているわけにはいかなくなります。
では、溺れる者に巻き込まれずに、コロナ後を生きていくために何をしなければならないかの考察については次回に続きます。