ポストコロナ「災い転じて福は内」1

新型コロナウイルス感染症の蔓延は、国内のことだけではなく、まさにパンデミック(世界的大流行)となっています。そんな中で、オリンピックとパラリンピックの開催に突き進んでいる日本人の行動を驚き、支持するという声が世界からあがっています。G7で首相が受けた支持は、オリンピック開催ではなくて、日本人の意識と態度が支持されたものと感じています。
これまで経験したことがない災いはコロナ禍と呼ばれています。この“禍”は災い、厄を表す文字で、諺(ことわざ)として使われる「災い転じて福となす」の元の言葉です。故事では「禍を転じて福と為す」と書かれています。単に新型コロナウイルスが蔓延している状態のことだけではなくて、その禍(わざわい)によって身動きができない世の中を一気に福(よい状態)に転じることを指しています。禍はわかりにくいので、一般に使われている諺の「災い」を使って書き進めていきます。
コロナ禍が過ぎる、つまり新型コロナウイルス感染が“終息”ではなくて、まだ感染は広がっているものの経済を優先させた行動ができる“収束”が宣言できる状態になれば、“元に戻る”と信じている、信じたいと思っている人は数多くいます。それは当たり前だろうと言うのではなくて、“元に戻る”だけでよいのかという考えがあります。「災い転じて福となす」でなければ、良かったと胸を撫で下ろし、将来に向かって希望を持って進んでいくことはできません。
故事の「禍を転じて福と為す」が示しているのは、ただ禍を乗り越えるだけでなく、それを自分の糧(かて)にして人生の上昇気流に変えていくことです。災いが自分にとってよくないことという個人レベル、家族レベルの話であれば、気持ちの切り替えで済むかもしれませんが、社会的な“禍”となってしまったからは社会経済構造を変えるくらいの取り組みが必要になります。
専門分野の話をすると、日本は戦後の75年をかけて、先進国でビリにあった平均寿命を世界のトップレベルまで押し上げてきました。それは食事、運動、休養という当たり前すぎるかもしれない取り組みを真面目に行ってきた結果といえます。ところが、コロナ禍で運動をしようにも集まることができない、外出も自粛しなければならない、家にいる時間が延びたことで運動不足に食べ過ぎ、飲み過ぎが加わり、病院に行く回数が減っただけでなくて健康診断も減ってしまったということで、すべてにストレスがつきまっていて、健康づくりの観点からするとマイナスばかりです。
ここまで悪条件になれば、平均寿命の延びも怪しくなり、介護に頼らず自力で生活できる健康年齢の延びも止まってしまうことも考えられます。コロナ禍が収束して元と同じ生活をすることではなく、マイナスを取り戻すために、もっと積極的に活動をしなければ、健康面だけでなく、経済面でも日本の優位さを取り戻すことができないのではないかと強い危機感を感じています。
では、どのように意識して、何をすればよいのか、その話は次回に続きます。