ポストコロナ「狂気の沙汰も金次第」1

「狂気の沙汰」と「地獄の沙汰も金次第」を結びつけたのが、今回のテーマの「狂気の沙汰も金次第」です。「狂気の沙汰」は常軌を逸した状態を指していて、まさにコロナ禍のことを指しているようなことですが、その後の対応も「狂気の沙汰」と言いたくなるようなことの連続で、このまま正気を取り戻すことができるのかと不安な気持ちがまだまだ続きます。
コロナ禍で最も不安なことは健康被害ですが、それと並んで不安で仕方ないのが金銭的な問題で、「地獄の沙汰も金次第」とばかりに、お金中心になってしまった人が多くなったことを批判することができない状況です。「地獄の沙汰も金次第」というのは、地獄の裁判も金を出せば有利になるのだから世の中は金次第で何でも思うままになるという意味の諺(ことわざ)です。
コロナ禍で追い詰められるまでは、“世のため人のため”が大事で、「その結果として生きていけるだけの稼ぎがあればよい」と言っていた人を大転換させるほどの地獄を味わったということです。
地獄まではいかないものの、狂気の沙汰にならないことには乗り切れないという人も急激に増えてきました。
お金さえあれば、この困難な時期を乗り越えて、また以前と同じように稼ぐことができるという思いがあり、得意なことが最も稼げること、得意なことを繰り返して生き延びたいという気持ちは当たり前のことだと思います。しかし、これだけ困難な状況になると、世の中の仕組みが大転換するような状況になっていて、さらに社会全体を大転換させなければならないほど国としても追い込まれてきています。資本主義を、他の主義に変えるべきだといっているわけではなくて、同じ資本主義のアメリカにも大転換のヒントはあります。
そのヒントとして、これは私たちの得意なことで、それで生き延びたいという気持ちも含まれているので、例としては適切かどうかわからないところがあるものの、日米の医療システムの違いを例として次回は話を進めていきます。