ポストコロナ「老いた親に教えられる」2

「負うた子に教えられる」の別バージョンの「負うた子に教えられて浅瀬を渡る」の意味を説明して、背負われた子どもの目線は大人よりも高いので、川の浅瀬がよく見えるということを紹介しました。それを「老いた親に教えられる」という言葉に変えたのは、目線を変えることの重要性を伝えたかったからです。
目線を変えるというのは、困難に立ち向かったり、新たなことに挑戦するときにアドバイスとして言われることですが、目線を変えるためには、さまざまな経験が必要となります。ただ目線を変えればよいということではなくて、新型コロナウイルス感染症のような未知の脅威、どこまでの被害が広がるか、また拡大するのかが見通せない状況のときには、これまでの経験と勘も重要です。変えた目線が、それでよいのか、もっと違う目線はないのか、いろいろと変えて見たものから、どれが最もよいのか、コロナ禍を打破するのに採用すべき方法なのかということを見極めるためには、経験と経験から培われた勘がないと誤った判断をしかねません。
コロナ禍は、過去のどの社会不安と被害と比べても最悪の状況であるとの見方もされていますが、それを越えるとしたら、第二次世界大戦の後の大混乱期しかないのかもしれません。その時代を生き残ってきた人の意見を聞けと言っているわけではなくて、その経験を聞き、それを言い伝えてきた人の声だけでも聞いてほしいのです。ということを言うと、原爆体験者の声を思い浮かべるかもしれませんが、それ以外にも言い伝えられてきたことは業界ごとにあります。
私たちの関係先の臨床栄養の世界を例にあげると、昭和22年の戦後初の食品成分表が発表されたときには今でいう有機無農薬で栽培された野菜にはビタミン、ミネラルが豊富に含まれていましたが、何年かごとに発表になった食品成分表と見比べてみると、驚くほど減少している成分があります。最新版か、その一つ前の食品成分表を学んだ人にとっては少しの変化にしか見えないのですが、ずっと前からの変化を見てきた大先輩(“老いた親”と言ったら叱られてしまいそうですが)は、大きく低下した栄養素を補うには通常のレベルの栄養補給では不足したままだということがわかっています。
コロナ禍で大きく低下した健康度をV字回復させるためには、歩かなくなった分だけ健康ウォーキングの機会を増やそうということを伝えてきましたが、栄養摂取についても以前よりも多くの量を摂らないことには健康度を高めることはできないとの認識で、栄養改善のためのアドバイスにも取り組んでいるところです。