ポストコロナ「聞くは一時の恥知らず」3

同じ目的をもった人たちには知らないことを聞くべきだと前回書きましたが、絶対に同じ目的であるはずで、手法も同じであっても、一緒に行動をしない人がたくさん存在しています。その代表的なもの、ということではなくて、たまたま知っている世界なので例とさせてもらうのがノルディックスタイルのウォーキングです。
2本のポールを用いて歩くノルディックスタイルのウォーキングの始まりは、北欧が発祥のノルディックウォーキングです。同じ北欧や欧州であっても、各国の団体ではポールの使い方に特徴があって、それぞれのスタイルの普及を目指しています。それが伝わった各国にも団体が設立されて、それぞれのスタイルが伝承されています。日本には、同じノルディックウォーキングなのに、別の団体が複数あり、流派のように独自の普及活動をしています。
日本で生まれたノルディックスタイルのウォーキングもあります。ノルディックウォーキングはポールを後方に突いて勢いよく前進するスタイルですが、日本生まれはポールを前方に突いて安定性を保持しながら歩くものです。こちらはポールウォーキングと呼ばれていますが、日本ウオーキング協会の元会長が始めたものはノルディック・ウォークとして普及されています。ノルディック・ウォークは他の歩き方を否定するのではなく、共存共栄を目指していて、異なる歩き方の異なるポールであっても使用を認めています。
すべてのノルディックスタイルのウォーキング団体が集合しての大会が開催されたことはあるものの、一つの活動として国民の健康づくりに取り組むということになると、まだまだ道のりは遠いという状況です。
これが茶道や華道の世界であれば、流派は異なるものの、用いているのは茶であり華であり、目指すところも同じであるはずなので、大同団結はしなくても、同じ考えをもった人たちの集まりを別の形で作るということは、これまでもされてきました。それぞれに頑張ってきた流派には、他派が学ぶべきところは数多くあり、それを活かして国民のための活動、世界に目を向けた活動にも取り組んでいます。
ところが、なぜか健康づくりとなると、それぞれの流派が独自に動くことが目立ちます。活動が似ているから受け入れられない、嫌うようになるということは、過去の民族同士の争いの歴史でも見られてきたことです。となれば、これまでとは異なる切り口での活動に、「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」という思いで取り組むべきだと考えます。それこそ「聞くは一時の恥知らず」と言われようとも進めるべきだと考えているのが、“脳の健康寿命の延伸”のための活動です。