コロナ禍を何とか生き延びようと、いろいろと新規のことを始めたのに、それがうまくいかずに、かえって苦しさが増してしまったという話は、よく耳に届いてきます。私たちも、それとは違うものの、苦しい状況に追い込まれそうになったことはあります。どこが違うのかというと、自分たちが新規のことを始めたわけではなくて、新規のことを始めようとしている人たちに巻き込まれてしまったという経験です。
コロナ禍で仕事がほしいと思っているのは誰しも同じことで、岡山に本部を移した私たちに、東京にいたときと同じように新規の仕事を持ちかけてくる人が複数いました。東京から岡山まで直線距離は550km、道路では660kmといっても、情報や人のつながりには距離はありません。コロナ禍の“おかげ”といったら語弊があるかもしれませんが、リモート会議が急に進んで、距離感ゼロで会話ができるようになりました。
私たちの人脈の医学者、研究者、団体役員、メディア関係者などは今ではテレワーク、リモート会議が当たり前になり、これまでならデジタル活用は困難ではないかと思われたような大先輩も距離感ゼロで付き合えるようになりました。そのために、東京にいたときよりも、無駄に使っていた移動時間を話に振り向けられるので、深く付き合うことができるようになりました。
その人脈を狙って、東京で仕事をしている人が、東京の先生を紹介してほしい、先生の持っているコンテンツを使わせてほしい、と接触してきます。画面越しに相手の表情は見えるものの、実際に対面して察知できる相手の本心は、どうしても伝わりにくくなってしまいます。それだからこそ、注意をして進めて、紹介をして、両者が付き合い始めた途端に、急に連絡が来なくなり、紹介をした先生からも文句が出るということがありました。それなら変なことをしたことを確認して、先生にも付き合いを断ってほしいと言うことができるのですが、どんなうまいことを言ったのが、両方から連絡が途絶えて、ただ紹介しただけで終わったということがありました。
これこそ自分のことを“能ある鷹”だと思い込んでいたのに、“詰め”が甘くて“爪”が活かせなかったということで、「能ある鷹は詰めを欠かさず」は私どもにとっての戒めの言葉になりました。
新たな事業のために、私どものコンテンツを使いたいという要望も複数ありました。中には、契約条件まで提示して、例となるコンテンツを見せてほしいということで何本かをメール添付で送ったのですが、その後に連絡が途絶えたこともあります。
まったく知らない人ではなくて、紹介の紹介でもない“人柄を知っている”人ではあったのですが、長引くコロナ禍で人が変わってしまったということを思い浮かべずに、過去の経験のままに受け入れようとした私たちの詰めの甘さが出てしまった結果です。