魚の代表といえば、なんといっても鯛(たい)です。鯛は「めでたい」に通じるということで、大相撲の優勝力士が大きな鯛を持って記念撮影に臨む姿は目にしたことがあるかと思います。あれだけ大きな鯛は用意するのも大変で、価格は高いといっても、実際に食べておいしいかというと疑問符が残ります。一時期、相撲部屋のダイエット指導をしていたときに、こんなに大きな鯛があるのかと思うほどの鯛を目にする機会があり、さらに口にする機会も得ました。塩焼きにして食べたのですが、あまりおいしくはなくて、汁物の味付けが最も合う感じでした。生きのよい状態でも、再び食べたいと思うようなものではなかったです。
タイトルの「腐った鯛」は、もちろん「腐っても鯛」をもじったもので、優れた価値があるものは落ちぶれても価値があることを指して“腐っても”という言葉を使っています。上等なものは、たとえ腐っても品格を失うことはないということで、今でいえばコロナ禍で商売に苦労をしていても、収束したときには他の雑魚には客は向かわなくても鯛には戻ってくるという意味でも使われます。
これは鯛のポジションを得た商品のことであって、一時期のブームに乗って売れているだけなのに、これを勘違いして最高級品のように扱ってしまい、購入する人の意識が変わったときに役に立たないくらいに落ちてしまうことがあります。それを「腐った鯛」と表現しています。この例として、以前にはウイルスにも対抗できるニュージーランドのマヌカハニーをあげたことがあります。抗菌力からインフルエンザに対抗できるというようなイメージがありましたが、新型コロナウイルスの感染拡大には無力であったことが気づかれてしまったということを指しています。
今回は違った食品を例示しますが、それはナタデココです。正式にはナタ・デ・ココ(nata de coco)で、ココナッツ果汁を発酵させてゲル化させたフィリピンの伝統的な食品です。1970年代後半には缶詰やパック入りで販売されていましたが、1993年に突然の大ブームが起こります。コリコリした食感が好まれてデザートに使われ、ファミリーレストランの定番になりました。ちょうどメディアの健康ブームにも乗って、広く知られるようになりました。フィリピンでは、作れば作るほど売れるというので工場まで作って製造を重ねてきましたが、ブームはたった1年で終わりました。そして、フィリピンではナタデココ富豪が、突然にしてナタデココ貧乏、ナタデココ破産にもなってしまいました。
デザートのブームは1990年にティラミス、1991年にクレーム・ブリュレ、1992年にタピオカ、1993年にナタデココ、1994年にパンナコッタ、1995年にカヌレと新規のものが登場してはブームになり、翌年には萎んでいくということを繰り返しました。
このように単なる流行ではなく、ずっと続く価値が高いものを作り続けられるようにしなければなりません。その例としてコロナ禍で一気に売れたアクリル板があげられますが、それについては次回に続きます。