ポストコロナ「鬼の居ぬ間の命の選択」2

コロナ禍での鬼が変異を続けるウイルスだとすると、「鬼の居ぬ間」というのは感染が終息したときということになります。完全に終わる終息ではなくて、一定の締めくくりがつく収束という状態では、まだ鬼がいるので、そちらの対応だけでも手一杯で、国のリーダーが手一杯の状態なので次の総裁選に不出馬という判断をするくらいの厳しい出来事なのです。
とてもじゃないけれど、収束にも至っていない段階で「命の選択」のための方法を考えるどころではないということです。しかし、自分がトリアージュをされないようにするためには、ギリギリの段階でふるい落としがされないように、状態をよくしておくしかありません。
同じ対応をしても、命が救われない可能性があると病床が空いていても断られるということが次々と起こりました。これは重症度が高かったために断られたのではなくて、同じ状態の人が2人来たとして、こちらは受け入れ、こちらは断るという選択の基準があります。もちろん、お金があるかどうかとか、体力がありそうだということではありません。厳しい選択の基準とされているのは、これまでの生活習慣の結果です。
その基準ですが、これまで助からなかった人が多かった場合の例に従って、若い人であっても肥満、喫煙、基礎疾患で命の選択が左右されています。ウイルスが変異をすると、ますます肥満や喫煙習慣が大きく影響するので、どこまで新型コロナウイルスの変異が続くのかわからない状況では、心当たりがある人は、ひたすら感染をしないように注意して生活をするしかありません。ワクチンを2回接種しても感染してしまう人が20%ほどもいるという状況では、ワクチンパスポートがあるから安心して県境を越えて出かけてよい、外食も許されるという判断は、まだまだ早いと感じています。