ポストコロナ「鬼の片棒」3

すべてを鬼のせいにされたら、鬼が可哀想になるような結果、ということを前回は書きました。鬼のせいにするのは平安時代からあったことで、平安という用語が使われていても、鬼を登場させないと仕方がないような不安が渦巻く時代でした。
鬼の語源は隠(おぬ)で、元来は姿が見えないもの、この世に存在しないものを意味しています。そこから転じて人の力を超えたものの意味となり、人に災いをもたらすものという意味が定着しました。一般にイメージされる鬼の姿は、見えないものの本性を絵にしただけのもので、実際には人の心の中に存在している、まさに見ることができないものです。
人の力を超えた存在というと、スーパー経営者がイメージされることがあります。国民全体の頑張りを期待する時代から、一部の優れた人が引っ張り、それに多くの人が付き従っていくという時代に変化していきました。そのアイデアと行動力が通じている時代はよかったのですが、コロナ禍のように災害レベルの出来事があると、これまでの意識を変えなければ生き残れないような状況になっています。
このコラムは岡山で書いています。岡山といえば、地元が意識する意識しないに関わらず、桃太郎のイメージがあります。実際に桃太郎のモデルが実在したのかは別として、桃太郎といえば鬼退治が有名です。桃太郎のモデルとされる吉備津彦は古事記、日本書紀に登場する第7代孝霊天皇の皇子で、西道(今でいう山陽道)に派遣され、鬼と称される温羅(うら)と戦って成敗したと伝えられています。これが時代を経て、世間で知られる絵本の世界の鬼退治に変化しています。
鬼退治というのは支配した側の理屈であって、岡山の吉備地方を治めていた温羅にしてみれば吉備津彦は征服者です。征服した吉備津神社に神様として祀られているのに対して、温羅は犬に喰われて、今は吉備津神社の釜の下に首が埋められて、鳴釜神事の吉凶を占うだけの存在になっています。
鬼は退治されるだけの存在なのか、退治をしてしまえば、それで元のとおりに戻っていてよいのか、という今後の意識については次回に続きます。