出身地で身につけた対人関係のテクニックは、生涯にわたって影響を与えるものです。特に初対面の人に対しての触れ合い方については、出身地を把握しておくことで、比較的うまい付き合いができるようになります。
新潟県出身の私は、大学の入学のために東京に出るときに、県民性について親からも親戚からも、くどいくらいに言われたものです。その県民性は「忍耐強く頑張り屋で、仲間意識が強い」とか、「頼まれれば、どこまでも」という気質でした。
その気質を大事にして自分らしく生きていく、というのは過去の時代のことで、今から50年以上前のことではあっても「新潟県民への印象どおりに振る舞うことはない」ということも言われていました。
県民性は周囲の勝手なイメージという感覚もあったのですが、イメージどおりの人だらけということを感じたのは、仕事で京都に長めに(といっても1か月ほど)過ごしたときのことでした。
京都出身の方とは、東京では大学内でも仕事関係でも、かなりの数の人と触れ合ってきました。特に多かったのがPHP研究所の方々で、書籍の出版部門は東京にあっても編集部員のほとんどは京都出身の方々で、この方々と1995年までの15年間、合計150冊のゴーストライターをさせてもらい、週に2〜3回は通っていました。
また、ゴーストライティングのために会う方も、京都出身の経営者が多かったのですが、一般的なイメージの京都人とは違っていました。
ところが、わずかな期間の滞在であったといえども、京都で暮らしている京都出身の方々と交流をする中で、イメージどおりの対応をしてくることに、県民性、地域性は当地に居続けてこそ継続されるものなのかと感じたものです。
ここまではタイトルの「京都の言い回し」の前振りのようなことで、今回のテーマにある“強印象”は好印象の間違いとして例示されることが多いようです。
京都の好印象といえば、はんなり(優美な)とか伝統を大切にするということですが、それとは逆の強印象として「プライドが高くて、いけず」、「冷静な現実主義者で、したたか」などと言われることがあり、それを実感することもありました。
PHP研究所で仕事をしていたときに、出版の企画会議で、よく題材として出ていたのは「伝統と進取の気風」でした。それは京都企業の心意気でもあったのですが、この進取の気風は、実は“いけず”、つまり言いづらいことを遠回しに伝える表現と関係していることを強く感じるシーンがありました。
いけずの実際のシーンは、これから徐々に書いていくことにします。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕