京都の言い回し8 どこから来たのかを聞かれる理由

「京都に来るのは何回目ですか?」という質問は、挨拶の慣用句の一つかと思われるくらいに何度となく言われています。30代のときでも東京に居を置きながら20回は訪れていました。

居を岡山に移して、もうじき古希という年齢になると合わせて50回は訪れています。

それでも同じように何回目かと聞かれるのは、よほど自分が地方出身者(田舎者?)に見えるのではないかと思い悩んでしまうこともありました。

これと同じような感じで、「どちらから来はったの?」と聞かれることもあります。何度も訪れているのは、近郊に住んでいるのか、新幹線を利用して来ているのではないかという意味合いがあるかもしれません。

近郊といっても京都文化圏とも言われる近畿地方であれば、言葉づかいや雰囲気でわかることもあって、交通機関で2時間ほどの移動を指していることが多いようです。

ということは、「どちらから来はったの?」と聞かれたら、これは遠くから上京してきた「田舎者」という気持ちが含まれているということです。

ここでいう上京は、現在の中央の東京に行くことではなくて、昔からの京の都に行くことを指しているということは、今さら説明することもないことです。

このような“京都のいけず”を感じさせる言葉の裏に隠されている言い回しをするのは、京都で触れ合う全員ではありません。

日本のイメージの店舗、そこで働くのは日本人ということではあっても、インバウンド客が押し寄せているところでは、いつしか経営者が外国籍の人になっていて、それもインバウンド客が立ち寄る店は実は、お客さんと経営者が同じ国籍ということが大都市部では増えてきました。

京都は特有の伝統があって、いきなり外国人が経営者ということは少ないとはいえ、別の地域の資本家が経営しているということも増えてきました。

「それでも」と言うべきなのか、「それゆえに」と言うべきなのか、京都は伝統を重視する文化都市というイメージがあって、それを崩さないことが観光で生きていくための基本ともなっているだけに、いけずな感覚を有していない人と触れ合うことが普通となっているようです。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕