健康ジャーナリスト1

◎医療ジャーナリストを始めるきっかけ
私のプロフィール(公式版と称している)には、大学卒業後に厨房業界の機関誌、病院調理師団体の情報誌、病院栄養士団体の機関誌、産業界の栄養指導者団体の機関紙との編集の流れがあり、そこで知り合った厚生労働省のお役人の紹介で、医療・健康に関わる団体の広報担当として機関誌を手がけてきたと記しています。これは本当のことで、最後に手がけたのは健診団体の機関誌で、これは月刊で13年も続きました。
自分で書ける媒体があったということで、匿名やグループ名などで医療関係の記事を書き、それが目に止まったメディアから声をかけられ、医療ジャーナリストとして医療制度から医療業界の事情、そこから派生して健康関連の情報まで執筆してきました。最も多かったときは月刊誌4誌、週刊誌2誌、日刊紙1紙に連載を抱えていました。
その当時は、テレビ番組では健康をテーマとしたバラエティー番組が数多くなり、健康雑誌も多く発行され、他の既存メディアでも健康ネタが盛んに扱われていました。テレビや健康雑誌にも情報提供を行っていましたが、取り上げ方に偏りを感じて、中には誤っている情報を伝えているところもあり、それが販売したい商品(健康器具、健康食品など)に沿った捻じ曲げた情報ということも多々ありました。
それではいけないということで、研究者、テレビや雑誌などのメディア関係者、ライターを集めて、健康ペンクラブを設立して活動を始めました。誤った情報を流さないように国や研究機関、大学の情報を伝えていくということを始めるきっかけになっています。直接、視聴者、読者に伝えるのではなく、メディア関係者に伝えることで、正しい情報が正しく伝わる環境づくりの一環を目指していたわけです。
医療ジャーナリストの仕事は、運動の世界に移っていってからも続けていき、その中で公益財団法人の理事の立場でサプリメントの講習を健康運動指導士にすることになったときも、ただサプリメント・健康食品の効能効果だけを伝えるようなことはしなくて、国の制度、医療制度を踏まえて、正しく伝えられない法規制の話、規制があるために消費者に正しく伝えられない各有効成分の説明なども行っていきました。これも医療ジャーナリストとしての発想が残っていたからのことでした。
(日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人)