健康ジャーナリスト3

◎テレビ人脈をコツコツと構築した
私のプロフィール(公式版と称している)には、テレビ関係の話は出てきません。しかし、ジャーナリストとして活動を始めるきっかけになったのはテレビ番組で、今でも遠く離れた岡山から東京の全国キー局のプロデューサーなどに番組ネタを提供しています。このネタというのは企画だけではなくて、実際に番組にするときに必要な裏付けの取れた情報、それを説明する専門家、番組の主旨にあったコメントの例、場合によっては番組内で紹介する商品やサービスまで探して提供しています。
以前はネタ提供だけでも、それなりの謝礼を受け取ることはできたのですが、広告収入の減少、制作費の大幅ダウン、無料でも出演したがる専門家の登場ということもあって、ネタが採用されても、お小遣い程度という状態になっています。それでも他の人が手がけて、充分とはいえない情報、場合によっては間違っていると指摘されても仕方がない情報が流れて、視聴者が誤った健康づくりをしないようにすることに役立つのならば、という気持ちで、依頼は断らないことにしています。
テレビ番組に関わるようになったきっかけは、公式には納豆業界のPR活動に関わったときだということになっています。納豆の健康に関するリリースを新聞社、雑誌社、テレビ局に送り、小さな記事にでもなったら、これをまたリリースにして雑誌の記事に取り上げられると、これを見て番組企画をしているテレビ関係者の目に止まって番組になるという流れと説明しています。そのあと、豆腐業界、豆乳業界でも同じことをしましたが、私にしてみれば同じ大豆が原材料なのでリリースづくりは楽な作業でした。
新聞→雑誌→テレビという流れで、テレビ局とつながったということにしていますが、実際には若いときからテレビ局には出入りしていました。大学時代に教えをいただいていた作家の息子さんが音楽雑誌の編集長で、その手伝いとして音楽業界を回って音源(当時はレコード盤)を集め、その記事を書いていました。レコード会社(今ではレーベル)やプロダクションの依頼でテレビ局への売り込みも手伝うようになり、AD(アシスタントディレクター)と付き合いました。
実力のあるADはディレクター、プロデューサーへと出世していきます。納豆、豆腐、豆乳のPRで付き合ったADの一部が今の情報発信先のプロデューサーです。音楽関係で知り合った大手広告代理店のテレビ局の重鎮で、その方のサポートがあったのも事実です。
(日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人)