健康・火の用心34 “琴線に触れる”コメント

“琴線に触れる”というと他人を感動させるような心に響く行為だと感じていたら、「怒りの琴線に触れる」という使い方をしている人がいて、自分たちが間違った使い方をしてきたのか、それとも怒りを与えるような意味で使うのが正しいのか、判断に迷うことがあります。

世の中には知らないことも多くあるので、自分の過去の経験だけで判断するようなことはあってはならないはずですが、「怒りの琴線に触れる」というようなことは、これまでは“逆鱗に触れる”という表現のほうで使われることが多かったようです。

逆鱗(げきりん)は、伝説上の神獣の竜の顎の下の逆さに生えている鱗のことで、誤って人が触れると死んでしまうという故事に登場する言葉です。

逆鱗と琴線が混同しているようですが、広辞苑では琴線は琴の糸のことで、そこから転じて感じやすい心情、心に秘められた感動して共鳴する微妙な心情であると説明されています。

文化庁の「国語に関する世論調査」の結果を見ると、“琴線に触れる”の意味として、「怒りを買ってしまうこと」という誤った使い方をしている人と、「感動や共感を覚えること」という正しい使い方(本来の使い方)をしている人は、ほぼ同数となっていました。

琴線は心情を表すものとして比喩的に使われている言葉で、子どもの言葉や行動は幼さを感じる、不十分なものであっても、心を打つことがあります。このように思わず起こる行動だけではなくて、その行動が相手のことを思って発したことであると、言葉は充分ではなくても心に響くことがあります。

健康づくりに関わることは、まさに琴線に触れるようなものであってほしいところですが、相手の反応ばかりを気にしていると、かえって“逆鱗”ならぬ「怒りの琴線に触れる」という間違った結果にもなりかねないということです。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕