「穿った見方をする」と言われたときに、批判をされているように感じるのか、それとも逆に褒められているように感じるのか、その違いは正しい意味を知っているかにかかっています。
穿った(うがった)という言葉の元は「うがつ」です。うがつは、穴を開けることを指す古風な表現で、新たなことのために穴を掘る、深く掘り下げて突き抜けて進むことを示しています。
そこから転じて、「人情の機微や事の真相などを的確に指摘する」という意味になり、その的確な指摘のことを“穿った見方”“穿ったことを言う”というようになりました。
その語源を知っていれば、「穿った見方をする」というのは褒め言葉そのもので、健康に役立つことを実施する場合には、穿った見方をする人は重要なキーパーソンとなります。
どれくらいの人が誤用しているのかについては、文化庁の「国語に関する世論調査」で調査をしていますが、それによると「物事の本質を捉えた見方をする」という本来の意味で使っている人は4人に1人ほどで、「疑ってかかるような見方をする」という誤った意味で使っているのは半分近くになっています。
誤用のほうが倍近く多いというのは、「国語に関する世論調査」でも大きな差がみられる結果となっています。
正しい使い方をして、正しく健康づくりをしたいと願っている人を導いていくためには、これまでにない“穿った見方”をして進めていくのが正しい姿のはずです。ところが、陥りがちなのは誤った使い方としての“穿った見方”で、疑ってかかるような行動をする人をリーダーとして担ぐことは困った結果にもなりかねません。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕