健康づくりは食事療法にしろ、運動療法にしろ時間をかければよいということではなくて、できるだけ無駄なことは省いて、科学的に効果が確かめられていることに集中して取り組むことが重要だと考えています。
そのために何を省くかと聞いたときに、「○○を割愛した」という返事が返ってくることがあります。
無駄なことを省くことも、割愛することも同じ意味ではないかと考えている人にとっては、何を変なことを書いているのかという思いになるかもしれませんが、割愛には「不必要なものを切り捨てる」という意味はありません。
手放すのは惜しい、切るのは忍びないという気持ちを表すときに使うのが割愛なのですが、大した思いもなくて簡単に切り離すのに割愛という言葉を使われると違和感を感じてしまいます。
文化庁の「国語に関する世論調査」の結果を見ると、本来の「惜しいと思うものを手放す」という意味で使っている人よりも、誤用の「不必要なものを切り捨てる」という意味で使っている人は、どの年齢でも上回っています。特に若い世代では誤用の割合が高くなっています。
健康づくりに取り組んでいるグループのリーダーが、全体の活動のバランスを考えて、これまで一緒に活動してきた人を泣く泣く切るということであれば、これは「割愛」の意味がわかっているわけで、よほどの覚悟があったのだろうと推測することもできます。
ところが、「不必要なものを切り捨てる」という誤った意味で使っている人は、自分に刃向かった、言うことを素直に聞かなかったという理由だけで、その人なりの割愛の意味の理解のもとに行動を起こしてくることがあります。
そのようなことがないように、言葉の意味の間違いを諭すだけでなく、安易な行動を諭すときにも言っておきたいことです。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕