情報発信が多様化している時代には、正しい情報を発信したとしても、それを見てもらい、理解してもらえないことには、せっかくの情報が活かされないことにもなります。ネット情報しか見ない人には、テレビ番組で放送される内容は存在していないのと同じことになります。
それどころか、テレビが存在していないに等しいという人が徐々に増えてきていて、動画はネットを通じて、いつでも手元のスマホで見ているという人もいます。そこで気になるのは、情報量と情報の質が充分なのかということです。
新聞の情報量は1面が15段で、1行が12文字、1段が70行という通常の形態で計算すると1ページの文字数は1万2600文字となります。朝刊が40ページとすると50万4000文字で、これは400字詰め原稿用紙では1260枚に該当します。
単行本1冊には原稿用紙で300枚が基本とされているので、4.2冊の量となります。このような計算は、単行本のゴーストライターをしているときからしていて、自分の場合はゴーストライターだけで184冊(公式では)なので……。(時間があったら計算してみてください)
新聞の情報量に比べると、ネット情報は、いくらでも蓄積ができて、検索をして見ることが可能なので、実際の蓄積情報量は雲泥の差があります。しかし、その情報に行き着くことができなければ、情報量は少なくなります。
検索に時間をかけたとしても、第一次段階情報として見ることができる範囲は限られているので、全部の情報を見ることはできなくなります。第一次段階の情報が、すべての情報を網羅したもの、情報の凝縮版であれば全体像を把握して選択することも可能です。
しかし、トップ画面や第二層の情報が、発信側によって選択されていると、全体を見ているようであっても、実は違っているということにもなります。
その選択も何かの意図があって実施されていると、初めからミスリードを起こすような選択をさせられていることにもなります。
情報リテラシーは、正しい情報の中から、正しい情報を選択して、これを実施することを指していますが、その初めから間違っていたら、情報リテラシーを向上させることができなくなります。
その情報リテラシーこそが、健康情報学として研究すべき重要ポイントとなります。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕