幼いときに親元を離れて過ごした母の実家の寺は、新潟県の出雲崎町にあり、寺の行事のときだけでなく、檀家の家族が集まるコミュニティの役割もしていました。これは他の寺でも同じことなのでしょうが、それを強く感じたのは、小学1年生の夏休みで寺に行っていたときのことでした。
台風から変わった低気圧による集中豪雨で、町のあちこちで土砂崩れがあり、死者が14人に及ぶという記録的な被害がありました。寺は山の中腹にあり、崖崩れの危険があって、檀家の漁師の家に祖父母と避難をしました。
その夜に避難先の家の屋根が吹き飛んで、押し入れに隠れるようにして怖い思いで一夜を過ごしたことを今でも覚えています。
翌日、寺に戻ると屋根は無事であったものの、本堂に土砂が流れ込み、本堂にあったものは土砂災害を逃れた別の部屋に運ばれて、寺として機能できない状態でした。そのようなことだったため、災害時の避難場所にはならなかったのですが、復興期には檀家の集まりの場になりました。
出雲崎町には今や国内唯一になった手作り紙風船製造所があり、そこは寺の檀家であったことから、檀家の復興の資金づくりのために寺に檀家の家族が集まり、紙風船づくりの内職を始めました。紙風船の材料も製品も軽いので、6歳の子どもでも紙風船製造所と寺の間を行き来することができました。
紙風船といえば今では丸型が普通になっていますが、紙風船を全国に広めた富山の薬売りがおまけとして配っていたのは主には四角(立方体)の紙風船でした。出雲崎町には富山の薬売りも訪れていて、子どものときの常備薬は置き薬でした。
出雲崎では四角の紙風船はおまけにならないと言って干菓子を置いていった記憶がありますが、それは紙風船の産地ならではのことです。
江戸時代の浮世絵に描かれている紙風船は四角ですが、テレビの時代劇で使われているのは出雲崎の紙風船です。今ではおまけに紙風船を配ることはあっても、それは丸型の出雲崎で仕入れたものです。
四角であれば紙を貼り合わせるのも簡単ですが、丸型の紙風船は8枚の紡錘形の紙を貼り合わせていきます。紙風船のカーブに合わせた曲がった竹ひごに紙を乗せて、外側から指で押して1枚ずつ糊付けしていきます。最後に一周して丸型になったら、紙風船の穴を通して取り出します。
1個が“銭単位”の工賃で、100銭が1円だということを知り、これが単位に興味を持ったきっかけでした。その積み重ねが大きな力になること、それを続けることが大切であることを知った貴重な機会にもなりました。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕