私の考えや行動は、居場所が定まらない転々としてきたことが影響していて、仕事のこだわりがなく、常に新たな関わりを持って進めてしようとするところがあります。その新たなことを説明しているときに、「次はどこに行くのか」と聞かれることがあります。
“どこに”というのは、話の後に行く場所を聞かれているのではなくて、これから何をするのか、そのために居場所を変えるつもりなのか、という意味で聞かれることがほとんどです。たまには、その日の予定を聞かれることもあるのですが、岡山に居続けるのか他のところに移住するのか、新たな仕事を始めるために移動するのか、という意味での質問です。
これからの自分の行動を考えるためには、これまでを振り返ってみることもよいかと思い、これまで住んだところを思い出して書いてみました。(地域名は当時)
1 誕生地の新潟県出雲崎町(母の実家の寺)〜6か月(以下、新潟県内)
2 父の勤務地(警察の駐在所)の松之山村(松之山温泉)〜2歳
3 松之山村東川(駐在所)〜3歳
4 出雲崎町(母の実家の寺)〜5歳
5 牧村(駐在所)〜8歳
6 見附市(父の勤務地は警察署)〜9歳
7 小須戸町(派出所)〜10歳
8 小須戸町(派出所の移動)〜13歳
9 糸魚川市(父の勤務地は警察署)〜15歳
10 柏崎市(叔父の家)〜16歳
11 柏崎市(親戚の家)〜17歳
12 柏崎市(アパートから高校通学)〜18歳
13 東京都中野区(大学で上京、アパート)〜19歳(以下、東京都内)
14 中野区(高校の同級生の親戚の店の寮)〜20歳
15 中野区(中野坂上のアパート)〜21歳
16 豊島区(東長崎のアパート)〜22歳
17 武蔵野市(吉祥寺の団地)〜26歳
18 渋谷区(原宿のマンション)〜29歳
19 渋谷区(原宿の一軒家)〜47歳
20 港区(神谷町のマンション)〜51歳
21 港区(赤坂のマンション)〜61歳
22 岡山県岡山市(東区瀬戸町万富)〜64歳
23 岡山市(東区瀬戸町光明谷)〜現在
これからは岡山の健康づくりに注力するので、移動しても県内だけのつもりです。
「どこから来て、どこに行くのか」というのは、ポール・ゴーギャンの『我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこに行くのか』(1897〜1898年作成)から拝借した言葉です。ゴーギャンが太平洋中心のタヒチで描いた代表作のタイトルですが、心に響く言葉でもあることから多くの楽曲の歌詞に一部が使われています。その数は70作品を超えています。
有名なところでは、松任谷由実の『経る時』の「どこから来て、どこへ行くの」、石川さゆりの『歌、この不思議なもの』の「どこから来て、どこへ行くのか」、浜田省吾の『境界線上のアリア』の「どこから来て、どこへ行くのか」、吉川晃司の『雨のTraveller』の「どこから来て、どこへ行くのか」、加藤登紀子の『川は流れる』の「どこから来て、どこへ行くのか」、レミオロメンの『Tomorrow』 の「どこから来て、どこへ行く」など、その数は70作品を超えています。
書籍では『私たちはどこから来て、どこへ行くのか』(宮台真司著)には、表紙にゴーギャンの『我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこに行くのか』が使われています。
ゴーギャンの絵画のタイトルは、カトリックの公教要理の中の三つの問いからヒントを得たもので、①人類はどこから来たのか、②人類はどこに行こうとしているのか、③どのように人類は進歩していくのか、の三つが問われています。カトリックの公教要理は問答形式で書かれたキリスト教信仰の教義書です。
ゴーギャンは娘を亡くし、家からの立ち退き、多額の借金、健康状態の悪化などが続き、失意のもとに訪れたタヒチで、ゴールのない人生について苦闘する中で描き上げました。
その苦闘に比べれば、問題ならないほどの人生しか過ごしてこなかった身の私が語るのも烏滸(おこ)がましいことですが、ゴーギャンの絵画のタイトルからは「行くところまで行こう」という覚悟を感じています。
ゴーギャンの絵画のテーマと、楽曲や書籍に使われる言葉との最大の違いは「我々は何者か」という部分で、この言葉にこそ考えるべきところがあります。これまでに日本人が築き上げてきた価値観が足下から揺らいでいる今、自分は何者か、つまり自分の存在意義と価値を確認することが重要で、そのために過去を振り返り、社会を再構築していくために力を注いでいこうという湧き上がる意志を示しています。
これを自分のこととして受け止め、常に「自分は何者か!?」と問うために、『我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこに行くのか』を唱え続けています。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕