偽る脳力82 ビジネス与党からの学び

「三人寄れば」に続くのは“文殊の知恵”というのが長らく続いてきた認識でしたが、今では「派閥ができる」というのが当たり前になりつつあります。同じ目的に向かって、本来なら協力して取り組むべきところが足を引っ張り合う、表向きは協力関係を保っていても裏に回ると批判合戦ということは、これまでに嫌というほど経験してきました。

学生時代のアルバイト先の社団法人でも、もう一つのアルバイト先の政治家の私邸でも、そんな話はいつも飛び交っていました。派閥という言葉を初めて知ったのは、自由民主党の佐藤派(周山会)から分離独立した田中派(政治同友会)でした。

たまたまアルバイト中に、後に竹下派(経世会)を立ち上げることから挨拶に訪れた代表を門前払いしたというシーンに出くわして、その後の対応に派閥争いの厳しさを強く感じました。

東京・原宿に住んでいたときに、たまたま前の家のご主人が福田派(清和会)で、大臣を務めた方で、葬儀に参列したときに福田総理、後の安倍外務大臣、子息の安倍秘書官とも知り合いました。

原宿には宏池会の代表の宮沢総理の私邸があり、近所付き合いをしている人の塾に娘が通っていたことから私邸を訪問したこともあります。

自由民主党出身で民主党政権では国土交通大臣に就任した2人とは以前から知り合いであったことと、政権奪取前の会合の場を提供していた方も知り合いだったことから、その場にも出入りしていました。その方は出版社の社長で、政権奪取に必要な文書作成に加わっていました。

自民党が野党であった3年間には、次期総理大臣を目指して、実際に96代総理大臣になった方の財界との朝食会を友人が仕掛けていたことから、何度か参加していました。スピーチライターとして書いたことと朝食会で語られることの内容の確認のためでしたが。
当時は複数のスポーツ団体の仕事をしていたこともあり、スポーツ団体の会長や顧問などは自由民主党の政治家であったことから、政権奪取を目指した会合にもよく呼ばれていました。

このようなこともあって、周囲からは「どっちの味方か」と言われることもあり、「ビジネス与党」などと揶揄されることもありました。

その時々の優位なほうの味方をする派閥のメンバーのようなことではなく、仕事先が政治関係だったということですが、霞が関の仕事もやってきたことから、本当に「ビジネス与党」として自分の立ち位置や主張を変える人を数多く見てきました。

それが自分の考えや活動に少なからず影響を与えてきました。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕