偽る脳力88 他人の時間の大切さはわからない

自分にとっては時間を無駄にされたことは大きな出来事であっても、それを感じない人には共通していることがあります。それは時間に余裕があって、時間の大切さに気が回らない人のことでもなければ、お金に余裕があって「時は金なり」がわかっていない人のことでもありません。

「よーく考えよう、お金は大事だよ」ではなく、「よーく考えよう、時間は大事だよ」という感覚の重要性については前に書きました。

お金があるために時間の大切さがわかっていない人がいることは事実ですが、私に「時間泥棒」という考えを気づかせてくれた経営者は、時間はお金に変えられないこと、お金持ちよりも“時間持ち”を目指すべきだと言っていました。

“分刻み”“秒刻み”というのは、こういうことかという見本を示してくれた方ですが、どんなに忙しくてもお金に不自由をする人ではありませんでした。

その当時の私は、時間の余裕はなくても、お金には少しは余裕があったので、「時間泥棒」の本当の意味がわかっていないところがあったのですが、今のように“やりたいこと”のためにかける時間もお金もない、という状況になっていると、「ギリギリの時間を作って会ったのに」「お金を工面して会ったのに」と後悔させられることがあります。

そのようなことを悔いるのではなく、時間泥棒の被害に遭わないように、二度と会わなければよいのでしょうが、人間関係もあって、まったく会わないようにするのも難しいところがあります。

「時間泥棒は自分が泥棒であることに気づいていない」と言われるように本人は気づいていないだけに、顔を見たら寄ってくる、こちらのことを思って(?)話をしてくるということが多く、ますます時間泥棒をされることにもなります。

そのような人に時間泥棒をするなと言っても通じなくて、時間の大切さを説いてみても時間感覚が違っている人には納得させる時間も勿体無いことと感じてしまいます。

「時間は誰にも1日24時間で平等」とは言われるものの、人によって同じ長さではないと考えることがあったのが、時間泥棒を強く意識するようになったきっかけにもなっています。

24時間という時間の長さは同じであっても、使い方は平等ではなく、使い方によっては24時間が23時間の価値にしかならないこともあれば、25時間以上の価値になることもあります。

睡眠時間を削って働いていることを自慢している人もいますが、睡眠時間を削らなくても価値のある使い方ができれば、長く睡眠時間していることを自慢することができるようになるかもしれないと感じています。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕