あのテレビ番組は自分が企画した、提案したという人には、テレビ業界と関わっていたときには、いくらでも会いました。私が企画の根幹から関わっていて番組として採用されたことであっても、自分が企画したなどと言う人は3人もいました。
記念日が話題になり始めたのは、記念日を産業の振興に役立てる戦略として、農林水産省と全中(全国農業協同組合中央会)が各業界に呼びかけ、農産物に関する記念日を制定して、キャンペーンに役立てるということからでした。
私は病院栄養管理HDS研究所の主任研究員となり、全国病院調理師協会の機関誌『病院調理』、日本臨床栄養協会の会報誌『New Diet-therapy』、日本健康倶楽部の『健康日本』の編集を担当して取材もしていました。
その関係で農林水産省の記念日の広報活動を知り、同時期に全中の広報部長からも記念日を用いた広報について聞きました。当時の広報部長は、幼少時代に隣同士の関係で、長く付き合ってきた方という偶然の関係です。
記念日に合わせて食品の記事を掲載する中で、大手広告代理店の食品担当と知り合い、広告戦略の一つとして記念日を活用する企画に参加して、365日の記念日リストを作成しました。これは記念日のない日を埋めるように新たな記念日を考え、関連業界の広報活動として提案するものでした。当時は100日ほどしか埋まっていなくて、そのうち食品に関わるものは50日ほどでした。
今では記念日のない日は1日もなくて(無理やり記念日にした日もあるのですが)、語呂合わせで記念日を無理やり作り出すということは、何度もやってきたことです。
その広告代理店のテレビ担当の局長と仕事を通じて知り合っていたことから、広告代理店を通じてテレビ局のディレクターに伝わり、番組のコーナー企画として採用されました。それは1987年から始まった日本テレビ系の昼の帯番組の「午後は◯◯おもいッきりテレビ」でした。“今日は何の日”の名称で、健康関連の情報が中心となる中で、食品に関わる記念日が増えていた時期です。
全国キー局のテレビ番組の“今日は何の日”のコーナーに記念日の情報を提供するようになってから、食品業界から連絡が入るようになりました。記念日は番組のコーナーのテーマでしたが、食品業界とメディアを結ぶ広告代理店からアプローチがあり、食品業界の記念日が番組コーナーの中心になりました。
それをきっかけに記念日を通じて、全国納豆協同組合連合会の「納豆の日」(7月10日)、日本豆腐協会の「豆腐の日」(10月2日)、日本豆乳協会の「豆乳の日」(10月12日)で健康効果を打ち出した全国キャンペーンを担当することになりました。
このような仕事をする中で、私が記念日の専門家だということが知れると、話を盛る人は私の前から離れていきました。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕