冬になると気になって仕方がない言葉

気になる言葉は、いくらでもあります。もともとの由来がわからなくなってきていることが多くなり、土壇場のことを「土俵際」というのは相撲から来ているという話がテレビのバラエティー番組で取り上げられても、これは相撲の土俵際の鬩ぎ合いと同じような状況で使われると納得をしているところです。しかし、冬になってテレビで頻繁に流れてくる「冬将軍」と「立ち往生」という言葉は、まだ違和感があります。
冬将軍は天気予報で気象予報士やアナウンサーが、正式の気象用語のように使っています。恐ろしい将軍のように寒波が襲ってくるということを言いたいときに使っているようですが、これはナポレオンにちなんだ言葉です。あまりに有名なので、わざわざ説明することもないかもしれませんが、連戦連勝で、どんな将軍にも負けなかったナポレオン軍が冬のロシア攻めのときに寒さに耐えられずに後退したときに「冬将軍に負けた」ということを言い、その逸話とともに冬将軍という言葉が北極寒波を指す言葉として使われるようになりました。
それほど厳しい寒波なら仕方がないと思えても、普通に寒波が来るときに冬将軍を連発されると、これは違うだろうという気持ちにもなります。すべての人を震え上がらせるレベルの寒波というのは、そうそうはないからです。
もう一つの「立ち往生」は雪が降って、道路が使えなくなり、大渋滞を起こしたときに、よく出てきます。往生というのは困ったことを指すのにも使われますが、亡くなることも指しています。それが立ち往生となると、立ったまま亡くなることを指し、少なくとも生きている人、生き残る可能性があるときに使う言葉ではありません。
由来は武蔵坊弁慶です。弁慶が源義経に付き従って奥州平泉に逃れたものの鎌倉勢に攻められ、義経を守るために薙刀を振るって孤軍奮闘したものの雨のような敵に矢を撃ち込まれて、絶命してからも立って敵を防いだことから生まれた言葉で、「弁慶の立ち往生」と語り継がれました。それくらい壮絶な状況で使う言葉という認識がある身には、渋滞に立ち往生はないだろう、という気にさせられます。
「目的を達成するためには立ち往生も止む無しと考えて健康づくり事業に当たっている」という話をすると、「ダイエットのためには死んでもいい」という女性を批判的に扱うこともある私たちの活動と矛盾していないかと指摘されることもあります。確かに、健康づくりは死ぬことの真反対にあることで、厳しい時代でも生き残るための手段です。それなのに「立ち往生とは」という人の気持ちもわかるのですが、ゆっくり、じっくりと進めていたのでは、お年寄りも子供たちも命を短くしてしまうと強烈な危機感を抱いて当然の食事の内容となっています。
どんな危機感なのかということについては、これから徐々に明らかにしていきますが、健康維持に最低限必要な食べ物の知識もない親が作った食事を、何も危機感を抱くことなく食べている子供たちが、あまりに多いことを知っているからです。その事実を知れば、行動を起こすはずなのに起こしていないのは、事実を知らないから、知らされていないから、もっと言うと隠されているからです。その隠しているところに立ち向かうには、立ち往生も覚悟しないといけないのですが、全面から攻撃すると反撃も全面から受けることになります。
となれば、気づかれないうちに変化を起こしてきた方々と同じ手法で、気づかれないうちに伝えていき、気づかれたときには、もう止められないという状況を作ろうとしています。その一つが、多くの若い人にアプローチできるメディアと、子育てを始めたばかりにママ層にアプローチできるメディアの活用です。