スポーツを始めるきっかけがテレビで見た名選手だったというのは今も昔も変わらないことですが、日本全国でスポーツの魅力が伝えられ、それがスポーツに限らず全国民に運動をすることの機運が高まったのは、なんといっても前回の東京オリンピックが開催された1964年(昭和39年)のことです。開会式の10月10日は記念日として祝日の体育の日(2000年からスポーツの日)となり、この日が巡ってくるたびにスポーツイベントが実施されました。
私は1955年(昭和30年)生まれなので、小学生でテレビ観戦して、学校でも教室のテレビが授業以外ではつけっぱなしでした。父母の結婚記念日が10月10日だったので、お祝い気分で体育の日にスポーツの意義について父が語り、それに感化されて父の仕事の影響で始めた剣道、柔道のほかに陸上競技も始めました。
中学3年生のときには、剣道の団体と陸上競技のリレーで両方とも県大会に出場して、陸上グラウンドの隣の体育館で剣道の予選に出て、次にリレーの予選に出て、また剣道で準決勝、さらにリレーで準決勝と続きました。準決勝で終わったから体力と気力が続いたものの、二刀流は大変なことだと今更ながら思って、大谷翔平選手の活躍を見ているところです。
前回の東京オリンピックを前にして、学校のクラブ活動でのスポーツが盛り上がり、運動会・体育祭も大いに盛り上がりました。それが今回は(現時点では)オリンピックは開催するものの、運動会は中止、緊急事態宣言が発令されている都道府県ではクラブ活動も中止になっています。私が住んでいるのは地元の高校のグラウンドの横で、中学校も隣接しているので、登下校をする子どもたちの姿を見なければ、学校そのものが休みなのかと思えるくらいに静かな状況です。
前回の東京オリンピックの年に発足したのが「歩け歩けの会」で、その後は「日本歩け歩け協会」を経て、今の「日本ウオーキング協会」になりました。全国でウオーキング大会を主管して(主催は各自治体)、歩くことによる健康づくりが広がりましたが、コロナ禍で大会は中止続きで、各地の歩行のイベントもなくなり、歩くという健康づくりの基本ができなくなっています。
そんな状況下で、新型コロナウイルスの感染が早く収束して、歩くことからだけでも始めたいと願う多くの人がいるのに、感染拡大のリスクが高い大規模スポーツ大会への疑問は、いまだに解消されないままです。
(日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人)