奇跡の軌跡1 連続してこその奇跡

「奇跡」という言葉は、あまり使いたくはないと言い続けてきました。ちょっとした変化を奇跡だと言い、いかに自分がラッキーな存在なのか、自分の仕事や生き方が奇跡を生じさせていると言って、何か得になることを引き寄せようとしている人には、嫌と感じるほど出会ってきました。

何を奇跡と感じるのかは人それぞれで、「そんなのは奇跡じゃない」と言いたくなることは多くの人が経験してきたことかと思いますが、一つや二つの出来事は偶然で済まされることです。

たった一つのことであっても奇跡は奇跡で、私が奇跡と強く感じた父の“九死に一生”の出来事は、それ以外に奇跡のようなことが父に起こったとしても、これは奇跡と断言できます。詳しいことは別の機会に書くことにしますが、風水害の避難誘導の先頭に立っていて、土砂の下敷きになり、その上に大きな岩が乗っていたところから自力で這い出てきたこと、その後も短期間で日常生活に戻れたことは奇跡としか言いようがありません。

奇跡という言葉を否定する人が、よく口にする「死んだと思っていた人が葬式の途中で棺桶から出てきたこと」ということに比べたら、その他のことは奇跡ではないことになるかもしれません。

それほどのことではないとしても、ただ助かった、結果としてよかった、望んでいたことが短期間で叶えられたということではなくて、その後の人生に大きな影響を与えて、多くの人に喜びや幸福感を与えるようになったとしたら、これは奇跡と呼べることです。

私の場合は、九死に一生の経験は一回きりでしたが、それよりも不思議な出会いが相次ぎ、これを活かし、出会いをつなぎ、今になって振り返ってみると「奇跡的な出会いであった」と言えることが、本当の奇跡ではないかと考えています。

奇跡は続いてこそ、これを活かしてこそ、奇跡と巡り合わせてくれた何か(something great)に気づくことができるのだとの思いを、これから書き記していくことにしました。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕