奇跡の軌跡8 名前が出ない物書きへの第二歩

音楽業界や厨房業界の文筆の仕事をしているうちに、知人の紹介でバレーボールとバスケットボールの専門誌を発行する出版社の手伝いをするようになっていました。その編集者の中にPHP研究所の編集部から移ってきた方がいて、その紹介で同研究所のテープ起こしのアルバイトの話がありました。

講演を記録したテープレコーダーの内容を聞いて、原稿に書き出すだけのことなので引き受けました。それは松下政経塾の塾長の松下幸之助さんの講話を文章化して、それを別のライターが書籍にするための原稿にするということでした。

関西弁の話を標準語に直して、文章として整理すればよいということで、注文通りの原稿も書いたのですが、読みやすくするために少しだけ書き換えた文章も作りました。その両方を提出したのですが、書き換えた原稿を編集者が気に入ってくれて、そのまま使われることになりました。

その後、第二弾、第三弾が発行されることが決まり、それも担当させてもらいました。これをきっかけにして、他の著者の原稿の執筆を回されるようになり、結果として17年をかけて150冊をゴーストライターとして手がけました。

これだけをしていたわけではなくて、他にも音楽業界、栄養業界などの仕事もしながらであったので、ほとんど寝ていないという時期もありました。初めは手書きで、その後はワープロ、パソコンと変化はしてきたものの、ずっと文章書きしかしてこなかったようなものだけに、高性能のパソコンも、ほとんど文章作成にしか使ってこなかったのは、そんな流れがあったからです。

契約によって、誰の、どの書籍を手がけたかは言えないのですが、初めの3冊は講話を書籍化しただけという形なので『松下政経塾 塾長講話録』であることを言うことは許可されました。

経済人や文化人など、普通なら会えないような方々に会って話を伺い、書籍には残せない話を伺うことができて、物書きの裏方をする中で、さまざまなことを勉強することができました。その出会いの連続を、自分の生き方を決める好機にすることができました。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕