学習障害160 学習障害児の学習環境は“兵隊の靴”

“兵隊の靴”という言葉があります。文字通り兵隊が履いている靴という意味もありますが、たとえとして使われることが多く、その意味するところはサイズが大・中・小くらいにしか別れていない既製品(レディーメイド)を指しています。既製品に足が合えばよいものの、合わない靴でも履かないわけにはいかず、きつくても我慢する、大きくても我慢するしかないということで、個人の条件を無視した教育のことを揶揄(やゆ)するときに使われています。
決してオーダーメイドではない、自分に合っていないものに合わせるのは、初めのうちはなんとか対応できても、それがずっと続くと我慢も限界に達します。現在の自衛隊なら除隊して他の職業に就けばよいところですが、昔の強制的に入隊させられた軍隊では、我慢できないことを、ずっと我慢し続けることになります。
“ならぬ堪忍するが堪忍”という諺(ことわざ)は、ただ堪忍(我慢、耐え忍ぶ)すればよいという意味ではなくて、「誰でも我慢できることが我慢のうちには入らず、とても我慢できないことを辛抱することが大切」という意味で使われています。その“とてもがまんできないことを辛抱させられている”のが発達障害の学習障害がある子どもで、中でも厳しい視覚障害である鏡文字として見えてしまう子どもにとっては、“堪忍袋の緒が切れる”状態で学び続けているということを理解してほしくて、わざわざ“兵隊の靴”などという言葉を使って書いてきました。
鏡文字に見えるのは、目で見たものを画像化する後頭葉の機能が障害を受けているか、発達段階でズレが生じて、それが改善されないまま成長したのが原因と考えられています。右の眼球から入った情報は左の大脳皮質、左の眼球から入った情報は右の大脳皮質に送られ、画像処理をする後頭葉で交差している画像を逆転させて正常に見えています。その機能が障害を受けているか、機能の発達にズレが生じて、最後の修正前の画像が脳に認識されているのが原因と考えられています。
なぜ、そうなるのかについては明らかにはされていませんが、明らかになったとしても改善法がない状態では、子どもの状態に合わせて、普通の子どもが見ているように見える逆さメガネのようなテクノロジーが必要になります。文字が逆転して見えても生きていけないわけではないかもしれませんが、普通に見えて、普通に書けるというのが生活の基本とされている中で、困難さを抱えて学び、生活をしていくためには、鏡文字に限らず、多くの学習障害の悩まされている子どもには必要なものだということです。