講演で、その場を和まそうというか印象を残したいということもあって、ことわざをもじったギャグを発することがあります。肝心な内容を覚えてくれずに、ギャグのほうを記憶する人もいるので、発する数もそこそこに控えていますが、「信じる者は救われる」をもじった「信じる者は足元を掬われる」ということを口にするとき、実は自分のことではなかったかと自虐の思いに襲われることがあります。
これまで就職をせずに、ずっとフリーで過ごしてきて、人と集まるのは団体を設立しての活動だけだったのですが、そのきっかけは親戚の者から言われた「就職先を決めてきたので、もう就職活動はしないように」という嬉しい(?)言葉でした。決めてきた先は多くの人が聞いたことがある新聞社で、それを信じて就職活動はやめて、文章書きの勉強を始めました。
それが今になって振り返ると、よかった(!)と思えることになっているのですが、何が起こったのか(起こしたのか?)誘ってくれた人が、その仕事先を辞めることになって、就職先の件は反故にされてしまいました。もうじき入社式というタイミングでした。
慌てて大学に相談してもどうしようもなく、文章の勉強のために通っていた作家の先生を訪ねました。先生の息子さんは音楽雑誌の編集長で、レコード会社を回って新曲の記事を書く仕事を出してくれました。たまたま先生のところに来ていた小説雑誌の編集者が、どういった経緯があったか最後までわからなかったのですが、厨房機器の団体の月刊の機関誌を受けていて、その編集を受けることができました。
「信じる者は足元を掬われる」という本来なら悲壮感をもって言わなければならないことを冗談めかして口にできるのは生きていくための仕事がもらえたからですが、そのときの経験を生かして、半分は信じても半分は信じないという方針で、複数のタイプの異なる仕事をするようになりました。
のちにゴーストライターとして184冊を書くことができたのも、健康関連の団体の広報の仕事を続けることができるようになったのも、そして今も続けている健康関連の情報発信ができるのも、信じて文章書きの勉強をしていたおかげだと思っています。
(日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人)