覚えておいても何も役に立たない記憶や経験は、長く生きていれば、どんどんと積み重なっていくもので、これは豪雪地帯の積雪のようなものです。
わずか1週間ほどで、家に1階の玄関から入ることができなくなり、2階の窓が出入口になったというほどの積雪を幼いときに経験した身には、どこまで積もるかわからない恐怖心は、いつまで経っても忘れられない記憶として残っています。
その記憶の降雪は「三八豪雪」と呼ばれています。
昭和38年1月末から新潟県から福井県にかけて発生した大降雪によって、道路も鉄道も使えなくなり、孤立する地域が続出したことから名付けられたものです。
新潟県長岡市では最大積雪量が318cmに達して、駅前の商店街は積もった雪の上を歩いて、雪を削って作った階段を降りて店に入るという前代未聞のことが起こりました。
その当時、私は新潟県の上越地方の山奥の村にいて、小学校低学年でした。三八豪雪の公式記録は残されていない(地方すぎて計測装置がない)のですが、学校に通うときに、「これ以上の積雪があったら電線を跨がないといけない」と言われるほどでした。
このようなことを覚えていて、何の得になるのかと言われることがあるのですが、三八豪雪が記憶に残ったままなのは、後に私が東京で錦鯉の世話をすることになった地域の選出の国会議員が、豪雪を地域のために活かしたことを知ったからです。
豪雪は経済被害こそあれ、利点にはならないと思われがちです。利点があったとしても豪雪の被害が帳消しにしてしまうのがほとんどです。その政治家は土建業の出身であって、雪が積もると仕事がなくなるのが普通でしょうが、豪雪地帯では除雪作業で、むしろ忙しくなる稼ぎ時です。
その稼ぎだけで政治家になれるほどの収益はあげられないとしても、その方は豪雪の雪がダムの水源になるということで、水力発電のダムを誘致しました。そこに行くまでの長い道路は冬の期間は雪のために行けなくなるということで、毎日除雪をしなければならないことになります。
この雪は谷に落としてはいけなくて、トラックに積んで、距離が離れた海まで運んでいって捨てられます。これによって冬場に普通は使われないトラックがフル稼働となります。それで大儲けをすることはできないわけですが、後に御本人から「春になれば雪は溶けて水になる」と聞きました。
谷に雪を落としたとしても、それを見ている人は関係者以外にはいなくて、他の人が見にくることができる春になったときには雪は水になっていて、“証拠は残っていない”という話です。
「雪が溶けたら水になる、ではなくて、春になる」ということは、地域では、よく口にされていたことです。それを稼ぎにして自分だけが利益を得ていたということではなくて、これを豪雪で苦しんでいる人のために道路やトンネルなどを作り、生まれたところで生活し続けられるようにするために使ったという話です。
忘れてもよいようなことを今も覚えているのは、こういった発想の転換を常に考えておくことを伝えたいからで、悪いことをしても知られなかったらよいというような話ではありません。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕