感染拡大から考える社会的障害

障害者は「障がい者」と表記すべきだということが言われてきましたが、NHKでは「障害者」を使い続けています。その理由として障害があるのは障害者ではなく、障害者が活動できない社会の仕組みのほうであるから、と説明されています。簡単な例をあげると、車椅子の人が2階に上がれないのは障害者のせいではなくて、2階に上がるエレベータを設けていないことや支えて上げてくれる人がいないことに問題があるということです。
新型コロナウイルスの感染拡大は、自宅から外出することを自粛するように要請されましたが、これだけのことが障害になっている人も少なくありません。もともと自宅に閉じこもって仕事をしている人には外出自粛は日常生活そのもので、特に負担を感じるようなことはないのかもしれません。それに対して、外出が当たり前、家に戻るのは寝るためというような人にとっては、家の中にいるように強制されることは負担でしかありません。自宅にいることは人によって負担が大きく異なっているということです。
生活環境の変化に対応できる人なら問題はなくても、発達障害児のように環境の変化に対応できない子どもの場合には、外出ができないことは大きな負担となっています。自閉症スペクトラム障害の子どもは社会的交流が苦手であるといっても、だから外に出ないことに問題がないというわけではありません。発達障害の支援を受けて、外に出ること、交流をすることにチャレンジして、それなりの結果が得られている子どもにとっては、ひきこもりのような状態に引き戻されることは苦痛となります。
注意欠如・多動性障害の子どもは、行動的で、衝動的に動くところがあって、それが正常な状態を保つ当たり前の行動となっています。それなのに自由な行動が起こせず、じっとしていなければならない状況になると、これは苦痛であって、家の中にいるだけでも拘束されているようなことと同様になります。
学校が一斉休校になり、一斉再開が長引き、いつ再開されるのかがわからない状況は社会的障害そのもので、特に発達障害がある人にとっては、障害を悪化させるようなことになってしまうということです。