戦後の食糧難は戦争だけが原因だったのか

日本人の体質の話をするときに、良い例としても悪い例としても取り上げられるのは今から70年ほど前の終戦の年の昭和20年(1945年)です。極端な食糧難から栄養不足に陥り、それが国民の健康の維持に大きな影響を与えました。それは事実であり、終戦後2年目の昭和22年(1947年)に発表された平均寿命は50歳でした。そのときにアメリカでは60歳、北欧では65歳を超えていて、いわゆる先進国の中では下位に位置していました。
そこから一気に平均寿命を延ばし、世界トップに躍り出たのは栄養状態の改善の賜物です。アメリカからの脱脂粉乳などの物資支援によって栄養状態が改善し始めた昭和22年までの2年間は戦争のために食糧難であったと考えられ、そのように伝えられているものの、昭和20年の夏に戦争が終わったにもかかわらず、その年の秋に大きな不幸に襲われました。その不幸というのは昭和最大の米の凶作です。
戦争が終わって、やっと普通に食べられるようになると思ったのに、凶作で米が不足していたのでは、その願いがかなえられるはずもありません。その当時の日本人は、今とは違って摂取エネルギー量に占める主食の割合が高く、肉も魚も卵も不足しています。となると、ご飯の量が減ることは、そのまま栄養不足につながります。
食物繊維の摂取量の変遷を見ると、終戦から10年経って、もう戦後ではないと言われた昭和30年(1955年)では食物繊維の量は現在、厚生労働省が推奨している量を超えていました。不足していたのは動物性たんぱく質で、これを補ってくれたのは卵と牛乳でした。「子供の時には卵を食べるために鶏を飼っていた。その鶏の世話をしていた」と当NPO法人の理事長がセミナーの途中で話していました。もう一つ、「子供のときには同級生が配達した牛乳を飲んでいた」という話もしていますが、牛乳は朝に飲むものというのは牛乳屋さんに冷蔵庫が普及したものの家庭に冷蔵庫が普及していなかったので、気温が高くない早朝に運んだから、という話も出てきます。
こういった食料事情を知っておくことで、日本人の健康の変遷や体質も理解しやすくなります。