日々修行の連載コラムの中で、何度か1995年の出来事が登場しています。阪神・淡路大震災など、さまざまな出来事があり、その影響は自分にとって今も続いていることはあるのですが、その中でも細々ではありながら、まだ先にも影響を与えそうなことはマイクロソフトのWindows95の登場です。
新たなパソコンのソフトが始まったという見方をすれば、それは外れてはいないかもしれないのですが、これまでのインターネットの使い勝手と可能性が大きく転換する、あまりにエポックメイキング(画期的な、というよりも新時代)な転換点でした。
11月23日の日本語版のリリース日に秋葉原に買いに行ったのですが、買うことができたのはソフト(OS)だけでした。Windows95は画期的なOSすぎて、これまでの少ない容量のパソコンでは完全に動かすことができないので、対応するパソコンも同時に購入するつもりでした。
あまりの混雑で、ハード(パソコン)まで販売員の手が回らないということで、買いたくても売ってもらえない状態でした。そこで、事前に対応するパソコンを混入していた親戚の方に頼んで融通してもらいました。
当時は東京・原宿に住んでいて、歩いてもいける距離に親戚の会社があったので、秋葉原から帰ってくる30分ほどの間に、パソコンが運ばれてきていて、買ったばかりのWindows95を入れ込んでくれて、その日から使える状態になりました。
当時はWindows95の存在は広まっていても、それがソフトであることがわかっていなくて、秋葉原の店頭でWindows95というパソコンを買いきていた人もいて、店員と話が噛み合わずに悶着を起こしていたシーンを今でも覚えています。
通信量が増えるということで、いわゆる銅線のケーブルでは対応ができないことから、今では当たり前になっている光ファイバーケーブルを一般家庭に引いていました。それでも今のようにサクサクと動くということは容量の関係でできなかったのですが、その当時にしたら“驚きの速度”でした。
なにしろ通信で表示される画面が、1行ずつ増えていくというようなスピードではなくて、初めに外枠が表示されて、モノクロになり、その後に色がつく、写真はもっと時間がかかるというレベルでした。
その当時のWindows95パソコンは、ガラケーよりも容量が少なかったので、これも仕方がないことだと今更ながらに感じています。
1995年はWindows95の登場を受けて、パソコンの認識と使い方が大きく変わった年であり、そのことを事あるごとに話をしてきたのですが、その当時も以後も私が使っていたのはマックパソコン(アップルコンピュータのMacintosh)です。
その当時に主に付き合っていた医療、出版などの業界がMac中心だったからです。Windowsは機種によって容量が限られていましたが、Macは容量が増やせるので、便利に使われていました。
私もMacで仕事に支障はなかったものの、これからはWindowsシリーズが広まり、原稿を送る先も送ってくる人もWindowsになることはわかっていたので、それに対応するための導入でした。
複数の異なるパソコンを使うしかなかった時代は、MacでWindowsのソフトが使える互換ソフトの登場で終わりました。ということで、今でもWindowsユーザーにしたら理解しにくいMacで普通に仕事をしています。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕