東京にいたときには、さまざまな団体の会員として参加していましたが、その中の一つの日本文芸家クラブでは理事を務めていました。
そのときに、会報誌の編集を担当することになり、会員の方々を訪ねたり、締め切りを伸ばしてもらおうとして酒の席に招かれることもあって、作家の先生と会う機会が多数ありました。
同時期に理事を務めていたペマ・ギャルポさんは、私より2歳年上ということで、会を離れても親しく付き合わせてもらいました。ペマさんはチベット出身で日本に帰化した方で、チベット文化研究所所長、ダライ・ラマ法王アジア・太平洋地区担当代表も務めていました。
懇親会などで一緒になったときには、ダライ・ラマと生まれ変わりの話を周囲の方にしていましたが、よほどチベット問題に関心がある人でないと理解してもらえないことを嘆くこともありました。
私はチベットについて深く学んだことはないのですが、出身校の東洋大学の図書館には山のような仏教関係の書籍の中に、ダライ・ラマに関する書籍も多数ありました。全部を読んだわけではないものの、チベット仏教の化身ラマのことも、チベット語で大海を意味するダライと、師を意味するラマということも知っていました。
チベット仏教の守護尊は観音菩薩で、ダライ・ラマは観音菩薩の化身として転生系譜とされています。現代のダライ・ラマが没すると託宣などによって次代のダライ・ラマが生まれる地方や特徴が予言され、そこで子供が探されて、本当の化身であるかを特徴や子どものときの癖、過去の記憶によってダライ・ラマの生まれ変わりと認定されます。
現在のダライ・ラマは14代で、初代のゲンドゥン・ドゥプパ(1391〜1474年)から500年以上は続いていることになります。
ダライ・ラマ14世の後継は中国政府が認定する、といった話は、ここでは触れないことにしますが、もう一人の化身ラマであるパンチェン・ラマ10世は中国政府によって認定され、インドに亡命したダライ・ラマ14世の代わりを務めているというような話は、別の機会に書かせてもらいます。
過去の知識に、ペマさんから得た知識を合わせて、自分なりの行くべき先を考えました。転生系譜は望むべくもない世俗の私ができることとしたら、死んでも残る世の中の役に立つことを作り上げることだと考え、その実践は、もうじき古希という今も続けているつもりです。
自分がするべき役割は、行く先々で徐々に船のサイズが変わり、最後には大きな船で大海を進んでいくようなものではないか、とも思っています。
自分が住む場所も仕事も行く先々で変えながら歩んできたことと、大海師(ダライ・ラマ)になぞったことではあるものの、大海に漕ぎ出した船が、どこに行くのか、それを知ることができる日を楽しみにしています。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕