私の足場がしっかりしないと感じさせるような行動は、物心がついたときから始まったようです。次々に巡っていく中で、自分に相応しい居場所を見つけ、その居場所で自分の目的を達成させていくという感覚もありました。
しかし、自分の活動は、ずっと動き続ける中で達成できるのではないかと感じるようになり、これについては前々回(日々修行126)、前回(日々修行127)で触れることができました。
自分の半生(と言うには、あと3か月で古希でしかありませんが)を振り返って、明日からの新たな歩みの原動力に変えたいと思っています。
物心がついた時期に親元を離れ、やっとできた近所の友達と離れて、親の転勤先で小学校に入学して、4年生のときには都市部の小学校に転校、5年生のときに田園地域の小学校に転校して中学1年生までいました。その後は新潟県内でも150km以上も移動して中学卒業まで家族と一緒でした。
その後は親元を離れて父親の出身地の柏崎市(今は原子力発電所の街)の高校で学び、東京の大学で学び、それから岡山に移住するまで44年間、大都会暮らしをしていました。
親戚づきあいも少なく、ずっと一人で暮らしてきたようなものだったこともあって、行く先々で人脈を作り、それを大切にするという今の形は、そのときから身についた行動と感じています。
私の考えや行動は、居場所が定まらない転々としてきたことが影響していて、仕事のこだわりがなく、常に新たな関わりを持って進めてしようとするところがあります。その新たなことを説明しているときに、「次はどこに行くのか」と聞かれることがあります。
“どこに”というのは、話が済んだ後に行く場所を聞かれているのではなくて、これから何をするのか、そのために居場所を変えるつもりなのか、という意味で聞かれることがほとんどです。
たまには、その日の予定を聞かれることもあるのですが、岡山に居続けるのか他のところに移住するのか、新たな仕事を始めるために移動するのか、という意味での質問です。
これまで住んだところを思い出して書いてみました。(地域名は当時)
1 誕生地の新潟県出雲崎町(母の実家の寺)〜6か月(以下、新潟県内)
2 父の勤務地(警察の駐在所)の松之山村(松之山温泉)〜2歳
3 松之山村東川(駐在所)〜2歳
4 出雲崎町(母親の実家の寺)〜5歳
5 牧村(駐在所)〜8歳
6 見附市(父親の勤務地は警察署)〜9歳
7 小須戸町(派出所)〜10歳
8 小須戸町(派出所の移動)〜13歳
9 糸魚川市(父親の勤務地は警察署)〜15歳
10 柏崎市(叔父の家)〜16歳
11 柏崎市(親戚の家)〜17歳
12 柏崎市(アパートから高校通学)〜18歳
13 東京都中野区(大学で上京、アパート)〜19歳(以下、東京都内)
14 中野区(高校の同級生の親戚の店の寮)〜20歳
15 中野区(中野坂上のアパート)〜21歳
16 豊島区(東長崎のアパート)〜22歳
17 武蔵野市(吉祥寺の団地)〜26歳
18 渋谷区(原宿のマンション)〜29歳
19 渋谷区(原宿の一軒家)〜47歳
20 港区(神谷町のマンション)〜51歳
21 港区(赤坂のマンション)〜61歳
22 岡山県岡山市(東区瀬戸町万富)〜64歳
23 岡山市(東区瀬戸町光明谷)〜現在
これからは岡山での活動に注力することとしたので、移動したとしても県内だけ、できれば岡山市内、それも人脈を作り上げてきた東側のつもりです。
活動の拠点は岡山市内の限られたところであっても、ひょっとすると住むところと活動するところは違っているのではないか、とも感じているところです。これまでは職住一致の活動を、ずっと続けてきたことから出てきた発想です。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕