経歴を示すときには、大学を卒業してからの職歴を書くのが普通という感覚の方が多いようで、私のように大学生の4年間の職歴から始まるのは珍しいのかもしれません。単にアルバイト歴を書いているわけではなくて、4年間の4つの“仕事”が、すべての職歴に関わってきました。
自分にとっては職歴そのものという意識で、わざわざ書いているのですが、その内容については、これまでの日々修行の中で文章にしてきました。また、今後も書いていくことになるかと思いますが、それをまとめて簡単に書き記します。というのは、4年間の仕事について聞かれることが、ここのところ多くなっているからです。
大学1年生の1973年から始まった「錦鯉育成アルバイト」は東京・目白台の田中角栄邸でのことで、錦鯉の世話は週に1回くらいでしたが、その間に学んだのは政治のことよりも人脈の作り方でした。
政治家の金脈について学んだのは、失脚した後のことでしたが、その前後で目白台で知り合ったメディア関係の方々が、今も続く人脈の始まりでした。
大学2年生の1974年から始まった「音楽の友アルバイト」は、週に1回のペースで通っていた作家の先生の息子さんが音楽之友社の「音楽の友」の編集長だったのがきっかけでした。
レコード会社を回って、もらってきたクラシック音楽のレコードの書評(感想?)を書くということから始まって、そこから音楽家のインタビューなどへ移って行きました。文章の勉強は、先生からではなく音楽関係の文章を書くことで覚えたところがあります。
それが「さすがは水島治男先生の最後の弟子」と言われる機会が後にあるとは、当時は想像もできないことでした。
大学3年生の1975年から始まった「割烹調理アルバイト」は東京・中野新橋でのことで、これが厨房機器の世界、スポーツの世界につながっていきました。
大学4年生の1976年には「厨房編集アルバイト」が始まりました。これは割烹調理つながりではなくて、水島治男先生のもとで知り合った出版社の社長の関係で日本厨房工業会の月刊機関誌の取材や執筆、編集をしていました。
これは大学生のときだけのアルバイトのつもりでしたが、翌年から日本厨房工業会の「月刊厨房」の編集担当(フリーの立場で)になり、ここで経験したことが一つは出版の世界、一つは霞が関などの行政の世界、一つは臨床栄養の世界へとつながりました。
そして、これらの経験が健康科学情報センター、健康ペンクラブ、そして日本メディカルダイエット支援機構へとつながっていくことになりました。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕