浄土真宗の開祖の親鸞聖人が残した言葉の“自業苦”と“業苦楽”は、発達障害の特性がある子どもを支援する活動では、心の中に刻んでいます。自業苦(じごく)と業苦楽(ごくらく)については前回(日々修行131)紹介させてもらいました。
発達障害の特性がある子どもは、それぞれの困難さがあるだけでなく、その困難さを理解してもらえないこと、改善を願ってもかなえられないことがあって、それだけでも“苦”を感じています。
自業苦の自業(自業自得の自業)は自らがやってきたことを主には指していますが、子どもの場合には自分のことに加えて、家族も自業の対象となります。子どもは親を選んで生まれてくることはできないため、自らが生きていく環境は家族が作り出したもの、家族を含めた周囲が作り出したものと考えられます。
その自業によって苦しむのは子どもであれば発達障害の特性がある子どもも、定型発達の子どもも変わりがないことです。定型発達は、発達障害に対する普通を意味する言葉で、あまり使いたくはないのですが、児童発達支援の世界では“普通に”使われています。
ここで言う自業は、発達障害の原因の一つが遺伝であることを指しているわけではなくて、生活環境を大きく示しているだけです。発達障害の改善を考えても、生活環境によって受けられる程度が変わってくることは、ある意味で仕方がないことです。
発達障害の支援は、さまざまなことが実践されていますが、それを把握できなかったために、支援が受けられなかったとしたら、これは保護者や親戚縁者、地域の責任と言われるようなことで、それによって改善の程度に差が出てきます。
このことは発達障害児の支援を実施する複数の法人(NPO法人、一般社団法人)の役員を務めさせてもらっている経験から強く感じていることです。
支援を受けることができたとしても、それが子どもに“苦”を感じさせることになる例も数多く見てきています。発達障害の特性がある子ども、その保護者を安心させるため、励ますために、発達障害は悲観するようなことはないと発言する方がいます。
「発達障害の子どもは大物になれる」「天才性が発揮される」「むしろ定型発達よりも優れている」ということを一般の発達障害をよく知らない人が口にするならまだしも、小児科医や精神科医という発達障害の特性がある子どもを診断する医師が口にしている例もあります。
それを保護者(家族)に言うだけでなく、子どもと一緒の保護者にも、時には子どもに向かっても言っている例があります。
発達障害の特性がある子どもにとって、最も苦しく、受け入れにくいのは「根拠のない励まし」であることを保護者も、場合によっては医師もわかっていないことがあることから、私たちは本当の理解を進めることを願って、関連する団体などと連携して活動を始めています。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕