日々修行137 テレビ業界の修行の始まり

テレビ局に初めて行ったのは中学1年生のときのことでしたが、それは地方局(NHK)の夕方の番組で、剣道クラブの一員として生放送で実演とインタビューを受けたことで、それは多くの人が経験するかもしれない程度のことでした。

東京にいたときに地方局で夕方のニュース番組に出演したのは納豆の全国広報で、生放送の時間に遅れて到着した大学教授の代わりにコメントしました。これは関東エリアの放送で、それを見たというディレクターの誘いで、埼玉エリアの地方局でもコメンテーターとして出演したくらいです。

もう一つは、広く食品業界の話「業界人は知っているが消費者には知られてはいけない」をテーマにした書籍を発行したときに、東京のローカルテレビ局の取材を受けました。放送されたらしいのですが、その局は契約者だけが見られるというもので、私は視聴が不可能でした。

民放の全国キー局では、専門家の代わりに免疫の話をしたくらいで、それ以外は裏方としての参加でした。番組の企画で最も多かったのは納豆PR、豆腐PR、豆乳PRでしたが、物おじせずにテレビ局のプロデューサーと立ち向かえたのは、大学生時代から民放各社に大手広告代理店や音楽情報誌などをバックにして、比較的優位な立場で出入りしていたからです。

後ろについてくれた大手広告代理店のテレビ担当部署の重鎮と知り合ったのは、私の出身地(新潟県柏崎市)が選挙区の総理大臣の東京の私邸でした。正しくは“元総理大臣”となったときで、最終的に逮捕されることになる前にメディア対策チームが集められた場でした。

私の役割は、以前にアルバイトとして私邸に行っていたときと同じ履き物整理とお茶出しくらいのはずだったのですが、文書の清書(当時はワープロも普及していなかったもので)などの用事をしているときに、親しく話す機会をもらいました。

その当時は、今の民放の報道番組やバラエティ番組のように、正義感を振りかざして“有ること無いこと”を放送するという時代ではなかったので、広告主を通じてプレッシャーをかけると伝え方のムードが変わってくるということがありました。

その効果があったのかどうかは、ここでは触れないことにしますが、この経験でプッシュすることの重要さ、プッシュする内容の重要さ、それを裏付けるエビデンスと専門家のコメントの重要さを知り、それを達成する苦しみの先にある喜びを感じる修行ができました。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕