「休む間もない」ということは忙しいことを表現する言葉というか、忙しいことを主張したい人が、よく口にしていますが、実際に休む時間がなかったという人には、あまり会ったことがありません。
編集者の真似事(?)をしていた30代初めのときに、人気小説家の自宅に原稿を受け取りに出向いたら、3人の編集者が原稿の仕上がりを待っていて、原稿用紙で1〜2枚を書くたびに手渡していって、受け取った編集者がFAXで所属する編集部に送るという場面に出会し(でくわし)ました。
今ならスマホで原稿を撮影してデータで送るということになるのでしょうが、それだけ忙しい先生は最後に残った編集者の私に原稿を渡したら“倒れるように寝る”というシーンを想像していました。
ところが、受け取った原稿をFAXで送り終わって、先生に挨拶をして帰ろうとしたら、先生の姿が見えません。先生を探していたら、編集部から先生の自宅に電話があり、確認したいところがあるとのことでした。
慌てて探そうとしたら、ご家族から「いつもの店に行きました」とのこと。いつもの店は居酒屋のことでした。そこに駆けつけて、修正する部分を聞いて、その場は解決できたのですが、「休む間もない」という表現について考えさせられたものです。
そんなことを書くのは、原宿に住んでいた19年間は、休む間がない、ずっと仕事をしている、その仕事が重なっているということが当たり前のようにあったからです。
今回の話は1983年の頃のことで、大手出版社で単行本のゴーストライターを始めたのは1981年のことだったので、仕事を終えたら寝るというよりも“倒れる”という感じの日が、ずっと続いていたからです。
「いつ寝ているのか」と聞かれれば、「ちゃんと寝ている」とは答えていたのですが、目を閉じたら次の瞬間は朝だった、という日が続きました。1日の睡眠時間が6時間で1年が過ぎるとしたら、私の場合は1年で2年間が過ぎていた感じです。
どうして、そんなことになったのかというと、書き物をする時間の他に、原宿に住んでいたために、次々と訪問者があるという環境で、「来るものは拒まず」という中国の思想家の孟子の言葉を実践していたように感じます。
というのは、会うたびに面白い、勉強になる情報がもたらされたからです。その時の記憶が、ずっと忙しくさせていて、その後も続いたのですが、そこから解放されたのは岡山に移住してからです。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕