日々修行143 バトンタッチの日々

1982年に原宿の住人であることを活かして始めたメディア向けの情報発信は、初めのうちは自分で原宿周辺を歩いて情報を探して、自分で原稿にして出版社(雑誌部門の知り合い)に送っていました。

どんな店が新規オープンするのかを伝えれば、後のことは勝手に取材して、新たなサービスなども伝えてくれると思っていたのですが、取材をした割には肝心なところが漏れていたということもあって、情報とともに取材用の資料も提供するようになりました。

これは通常の企業であればリリースをメディアに発行して、プッシュしていくという当たり前のことを、原宿のショップは、ほぼやっていなくて、“口コミ”の広がりの延長を期待するという感覚でした。

会社組織のところや原宿にも1店舗を設けているというところであっても、内情は一緒でした。

発信する情報が増えてくると同時に、情報を求めるメディア側の要求も徐々に強まっていく中、情報源と情報の集め方を伝えるように変わっていきました。これは在京メディアであれば普通にやっていることだと思っていたのですが、これも案外とやっていないことを知りました。

情報源を伝えるだけでは、各雑誌社の情報が似てきて、面白くないという状況になってきました。そこで情報は一緒であっても切り口を変えた報道ができるように、各社の特性にあった情報と切り口を提供するようになりました。

そんなことをしているうちに、出版社に広告を出している会社、情報を発信してもらっている会社から切り口の提供の依頼がくるようになりました。といっても直接の依頼ではなくて、広告代理店やPR代理店を経由することが多かったのですが、こちらから求めなくても勝手にギャラが発生するようになってきました。

こういったことは代理店に任せればよいという流れになったところで、その延長として代理店から持ち込まれたのが納豆の全国PR(全国納豆協同組合連合会)でした。そのスタートは2002年のことでしたが、続いて豆腐(日本豆腐協会)、豆乳(日本豆乳協会)の全国PRを手掛けることになりました。

これも情報収集、分析、発信を続けてきたことが活きてきたのかもしれません。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕