岡山に移住して、あと2か月ほどで8年になります(2025年2月12日現在)。
初めに住んだのは、東京の住まい(港区赤坂)に比べることもなく、郊外の駅前と比べても何もないところで、食品を購入できるところはコンビニ1軒だけという地域でした。
そのおかげというか、東京とは違った夕方を過ごすことができるようになりました。
東京では15時以降の打ち合わせは、終わったら帰ることができるとは限らないところがありました。喫茶店でもアルコール飲料を出すところが多く、話が長引いたらコーヒーのお代わりを何回もするわけにもいかず、早めの時間から“酒を飲みながら”ということも少なくありませんでした。
初めからアルコール飲料が目当ての店が打ち合わせに使われることもありました。喫茶店は、どこも混んでいて、空いているのはビールの専門店しかないので、“仕方なく”ということも普通にありました。
たまたま東京で住んでいたところが、吉祥寺、原宿、虎ノ門、青山一丁目で、中でも青山一丁目は赤坂や六本木にも歩いて行ける範囲だったので、飲み屋(ではなくて本来は打ち合わせの場所)は、いくらでもありました。
そのために、こちらから出向かなくても、いくらでも打ち合わせに来てくれる環境で、お願いされる立場がほとんどでした。そのため、飲食(飲はアルコールのこと)が当たり前、私との打ち合わせという名目なら“ただ酒”(経費で飲める)があるということで、自分で支払うことなく、月の半分は飲んでいたということもありました。
これが交流目的のミーティングの場となると、初めから酒が出るのは当たり前でした。
重要な打ち合わせのときだけは“とりあえずビール”くらいにして、あとは話の進み具合によって飲む中身が違っていました。
よい結果なら飲む量が増える(相手の気分が良くなるということで)、よくない結果だったら私を口説くために別の店に誘われるという状態でした。
いわば酒を飲みながらのコミュニケーション(飲みニケーション)だったわけですが、酒が入ると気分が高揚して、妙な約束をさせられるということがあって、そうはならないように注意しながらの飲み会は楽しいものではありません。
飲むと楽しくなる人と苦しくなる人がいますが、どちらかといったら前者なので、多くは飲めないという弱いフリをしていました。私よりも多くの量を飲んで、酔ってくれれば、これは相手の本音がわかる機会となります。
本音を隠そう、場合によっては嘘をつこうとしている人も、酔ってくると本音が滲み出てくるようになります。私には「微表情を見抜く」という特技があり、守りの構えがゆるんでくると見抜きやすくなるので、相手が「酒に飲まれるコミュニケーション」は実に優位な場でした。
どんなに好きな酒が目の前にあっても、私自身は「酒に飲まれないコミュニケーション」を続けなければならないので、好きな酒は家で飲むことにしていました。
好きでもない酒を飲んで帰ったときには、好きな酒で“口直し”(厄落とし)をしたいので、“酒は飲んでも飲まれない”という面白くない飲み方だったように思います。
今はといえば、好きな日本酒を買いに行くかネット注文で入手して、それだけを妻と飲んでいるので、実に幸せな飲酒の時間です。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕