日々修行167 兄弟の年齢差

私の弟は新潟県柏崎市に家族と住んでいます。弟が生まれたときには、私は母親の実家の寺院に預けられていました。親元に戻ることになったのは6歳になる寸前だったので、家に戻ったときには弟がいました。

弟とは4歳差で、両親からは入学時期が重ならないようにしたとの話を聞きました。

私が中学1年生になったときには弟は小学3年生で、そのまま順調に進めば確かに重ならないことになります。ただし、私が浪人をすると重なる可能性があるので、現役合格は義務のようなことを言われていました。

今回は自分の兄弟の年齢差がメインではなくて、私が通っていた新潟県立柏崎高等学校にいた兄弟の話です。

剣道部の主将をしていたときに、後輩がクラブ開始の時間に来なかったので、体育館から部室に向かって探していたら、まだ制服のままで廊下を歩いていました。ゆっくりと歩いていたので、どうしたのかと声をかけたら、ポカンとした表情。

そのまま無視をするように離れていったのですが、体育館に戻ったら剣道着の後輩がいました。何が起こったのかと思って聞いたら、双子であることがわかり、年齢差というよりも、まったく同じ日の同じ時間(?)に生まれた兄弟の余談のような話です。

高校2年生のときまで知らなかったことですが、1年先輩の生徒会長だった蓮池透さんの弟が、私が3年生のときに1年生で入学してきました。蓮池兄弟の年齢差は3歳でした。

あの有名な先輩の弟ということで、校内で会いにいった蓮池薫さんのことを明確に思い出したのは、2002年10月15日のことで、北朝鮮から帰国した拉致被害者の5人の中に見つけました。

高校時代は話をしたのは、わずかな時間だったのですが、2002年当時の私は厚生労働省の仕事をしていて、この柏崎つながりのことをお役人に話をしたら、会う機会を作ってもらうことができました。

そのときの話は、今回のお題とは異なるので、別の機会に書くことにしますが、地元の柏崎市に帰ったときに時間の都合をつけて会うつもりでしたが、なぜか会えたのは東京でだけでした。

もう一つの年齢差は大学時代のことで、東洋大学には松沼兄弟がいました。西武ライオンズで活躍したピッチャーの兄の松沼博久さんと弟の松沼雅之さんです。松沼兄は私よりも3歳上、松沼弟は1歳下でした。

東洋大学の野球部には落合博満さん(2歳上)という逸材がいて、松沼博久さんもいるので東都大学野球リーグで優勝ができると言われていました。応援に行くのを楽しみにしていたのですが、私が入学したときには落合さんは中退していました。

そのためとは言わないものの、松沼兄の時代は準優勝ばかりでした。

松沼弟の時代は、私と同期の達川光男さんがいて、名バッテリーによって2回優勝をしています。

松沼兄弟の年齢差は4年ということで、私の場合と一緒という話は新たに出会った人との交流のネタとして使わせてもらっていました。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕