私の仕事は何なのか、何が専門なのか、ということを聞かれることが多くなってきました。岡山に移住して8年目になっているのに、いまだに自分の経歴や実績が理解されていないというよりも、これは新たな出会いが増えてきた結果です。
自分の活動は、新たな出会いの連続でした。偶然に、そうなったというよりも、自分の仕事が人と人をつなぐことであり、理想とする形を作り出すためには、常に新たな人との出会いが必要だったからです。
たまたま最大の出会いの場となったテレビ業界で、いろいろと仕掛けてきた番組の司会者が亡くなったタイミングで、この報道が相次いでいることから例として書いていくことにします。
初めて私の企画が全国キー局の番組で採用されたのは、1987年から始まった日本テレビ系の昼の帯番組の「午後は◯◯おもいッきりテレビ」でした。その一つのコーナーの“今日は何の日”に健康と食品に関わる記念日と説明原稿の提供、取材先などを紹介していました。
農林水産省と全中(全国農業協同組合中央会)による食品キャンペーンとして食品に関わる記念日が徐々に知られることになっていたタイミングで、両方のネタ元につながりがあったことから、お鉢が回ってきました。
既存の記念日を紹介するだけでなく、食品業界の意向を受けて、新たな記念日を作ることも、語呂合わせの記念日だけでしかなかったことをイベントにして、その広報としてテレビ番組を活用するようになりました。
1987年に病院栄養管理研究所に主任研究員となり、所長は国立病院に所属していた管理栄養士のトップで、同時期に日本栄養士会の理事長も務めていました。当時の厚生省の栄養専門官、栄養指導官は国立病院の管理栄養士が人事派遣されていました。
その人脈があったことから、健康関連の情報を記念日に切り替えて“今日は何の日”に使っていたのですが、そこから「午後は◯◯おもいッきりテレビ」の本ネタ(健康情報)にも関わるようになり、他局にも入り込むようになりました。
初めのうちは健康と食品に関連する企業からの依頼が多かったのですが、あまりに多くなったことから団体の広報に絞ることになりました。
病院栄養管理研究所の関係で、日本臨床栄養協会の広報、病院調理師の全国団体の広報の仕事が入るようになり、さらに団体の運営も担当するようになりました。そのことが知られるようになると、健康関連の新たな団体の立ち上げと運営、広報の仕事が次々に舞い込むことになりました。
1999年には巡回健診の最大の全国団体の編集委員になり、月刊情報誌の編集を2012年まで務めました。
これまでの人脈と情報源のおかげで、ネタに困ることはなかったのですが、月刊情報誌で取り上げた記事が、テレビ番組の企画にちょうどいいということで、テレビの健康番組への情報提供も増えていきました。
そんな中で始まったのが、2002年の全国納豆協同組合連合会の「納豆の日」(7月10日)PR、翌年の日本豆腐協会の「豆腐の日」(10月2日)PR、その翌年の日本豆乳協会の「豆乳の日」(10月12日)PRでした。
2001年には厚生省と労働省が合併して厚生労働省となっていますが、厚生労働省から他の省庁の所管に広がった団体関係の仕事も回ってきました。
自分と個人人脈だけではこなしきれないということとなって、2008年に、特定非営利活動法人日本メディカルダイエット支援機構を設立して、理事長に就任しました。
その年はメタボリックシンドローム対策の特定健診・特定保健指導が始まったタイミングであったことから生活習慣病対策に広く関わる分野の団体の運営と広報の仕事が入るようになりました。
2015年には機能性表示食品制度が立ち上がり、その年から消費者庁の機能性表示食品の委員を、岡山に移住する寸前の2017年3月まで務めました。
今は岡山で細々と活動していますが、その内容は新たな健康関連の団体・法人の立ち上げと運営、広報と講習といったことです。
こういった流れからすると、私の専門は団体の運営と広報、それに関わる講習ということになりそうです。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕