日々修行192 菓子との付き合いの始まり

寺院と菓子はつきもののようなもので、神社仏閣が観光地の目玉になっている地域では、老舗の菓子補は門前にあるというのは当地の常識のようなものです。今でこそ、駅前や商店街、観光バスが停まるところに店が移っていることはあっても、発祥の地は門前ということは、よく聞くところです。

全都道府県を仕事なり観光なりで訪れていますが、“神社仏閣マニア”であるので、それは全国の神社仏閣を訪ねていて、同時に老舗の菓子補を訪ね、味わっていたということです。

“三つ子の魂”と言っていいのか、母親の実家の寺院で3歳から6歳まで、親元を離れて暮らしていたので、菓子との付き合いは意識をすることもなく始まっていました。

新潟県出雲崎町の小さな寺院で、漁師町だったので、門前の菓子補どころか、菓子を売っているのは他に何でも扱っている店が1軒あるだけでした。

そこに住む人たちは、菓子はバスで1時間ほどの都市部で買ってくるしかないような状態でしたが、町内に複数ある寺院には“甘いもの”がありました。

檀家の子どもたちは、何か用事をすると、お駄賃として菓子がもらえるということがわかっていて、檀家との行き来は子どもたちが担うことが多くありました。

用事がなくても勝手に用事を作ってやってくる子どももいて、3歳の私が1人では寂しいだろうからと遊びにやってくる、海に潜ってサザエをとってきた、お寺にはない菓子をもらったからといって持ってくるということもありました。

寺院にある菓子の多くは和菓子で、中でも饅頭(まんじゅう)は食べきれないほど貰うことがあり、それを食べてくれる子どもたちの訪問は、ありがたいこともありました。

葬式や仏事で饅頭を渡すのは、どこでも見られることですが、僧侶と寺院、その家族のためと箱入りで3箱がくるのが通常の地域でした。子ども頃は饅頭の数が奇数である意味はわからなかったものの、15個入りが普通であったので、一気に45個の饅頭がきました。

当時は保存料も使われていなくて、冷蔵庫も小さかったので、早めに食べるしかなくて、もらってくれる人を探すくらいでした。それでも余ったものは、4分の1にカットして、天ぷらにして、ご飯の代わりに食べるということもしていました。

寺院は饅頭を出すということはなくて、あくまで貰いもの、仏事があったときに檀家の方々などに食べてもらうものという感じでした。寺院が買うのは饅頭以外の和菓子で、寺院には和菓子の外商さんが見本を持って定期的に訪れていました。

見本の菓子は、記憶では10種類くらいはあったと思いますが、購入するのは2〜3種類でも外商さんは次の検討のための試食用に、ということで全種類を置いていきました。その量は、子どもでは腹一杯になる量で、家族で分けても食べ切るのに3日ほどはかかったと記憶しています。

他にも、お釈迦さまの生誕祭の4月8日はお菓子が集まる日で、その日が私の誕生日だったこともあって、誕生日は「和菓子食べ放題の日」でした。もう一つの「和菓子食べ放題の日」はクリスマスで、寺院にいた間はクリスマスにケーキを食べることはありませんでした。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕