日々の修行について説明する中で、前回(日々修行1)、マウンティングについて触れました。テーマに沿って書きたいことは山のようにあるのですが、その前にマウンティングをしてくる人について書き記すことにしました。
子どもの頃の日々の修行は、生まれたのが寺院(新潟県出雲崎町)で、3歳のときに親元を離れて再び寺院で暮らすことになったことから始まった“修行”では、マウンティングを感じることはありませんでした。
マウンティングという言葉を知らなくても、後に振り返ってみて、小さな出来事であったとしてもマウンティングの存在は確かにありましたが、それが自分の行動や生き方に影響を与えることはなかったはずです。
マウンティングの存在を感じることになったのは、親の庇護を離れて、300kmほど離れた東京の大学で学ぶようになってからです。
大学生なら、まだ親の庇護の下ではないかとの声もあるのは承知していますが、経済的にはギリギリの状態で、修行のようなアルバイトは必要なことでした。その修行のような4年間で、上から目線でいること、その立場にいることで自分の存在を証明したがる人は、それこそ嫌というほど見聞きしてきました。
マウンティングは、相手と自分を比較して、相手を見下した状態で、上から目線で自分の優位性を示す行為のことです。それは実際に自分が優れている点を示したり、自分より相手が劣っている点を見つけ出して指摘するだけでなく、無理やり自分の立場を上にするようなことをしてくる場合もあります。
誰にも負けたくない、常に一番でいたい、羨望の目で見られたいという気持ちがあって、常に自分が優位な立場でないと気が済まない、少なくとも下に見られることはあってはならないという意識が強くあります。
本来ならテーマとして掲げている“修行”ということであれば、心の豊かさ、人間性というのが上下の位置づけになるところでしょうが、これは格付けがしにくいために、他のことで上になろうとすることが多く見られます。
それは外見、経歴、学歴、仕事、年収、団体などの役員といったことで、格付けしやすい肩書きにこだわる傾向があります。そのため、身の丈を超えた肩書き、理事ではなく会長、新たな団体を設立しての代表就任、他の人に実際にやらせて名誉だけを自分のものにしようとするなど、修行の範疇には入らないことを平気でしてくることも、これまで何度となく経験してきたことです。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕