メディアの各業界と付き合ってきた身には、テレビを見るのも新聞を読むのも雑誌や書籍を読むのも、すべて仕事の範疇という時期が長く続きました。
それは還暦を過ぎてから縁も所縁(ゆかり)もない岡山に移住してからも、東京時代に比べたら一部でしかなくてもメディアとの付き合いが続いていたので、何をしていても仕事の一部という感じでした。
東京にいたときに、雑誌なり書籍なりを読んでいると、「仕事ですか勉強ですか」とよく言われました。直接的に仕事に関わってくることは「仕事」、間接的に仕事に関わってくることは「勉強」と区分けしての質問です。
このほかにも読むことは趣味や暇つぶしでもあるというのが普通の感覚かもしれませんが、趣味のつもりで読んできた時代小説で得た知識が仕事になったこともありました。それは劇映画とテレビドラマのプロデューサーの市川久夫さんと一緒に仕事をすることになったからです。
市川久夫さんは劇映画約100作品、テレビドラマ約600話の制作に携わった方で、その名前は、今でも時代劇のテロップで企画者として流れています。有名なところでは「鬼平犯科帳」「剣客商売」「仕掛人・藤枝梅安」「雲霧仁左衛門」「編笠十兵衛」「江戸の旋風」などがあげられます。
初めての出会いは大手広告代理店のテレビ部門の重鎮の紹介で、後に作家団体の日本文芸家クラブの会員同士として再会しました。日本文芸家クラブは、捕物作家クラブとして昭和24年に始まったこともあって、時代劇、捕物帳などの関係者も参加していました。
再会したときには私は日本文芸家クラブの理事を務めていて、好きで時代物の小説を読んでいることを話したのがきっかけで、お付き合いをすることになりました。
時代物の専門家の先生との付き合いが始まると、これまでの小説の知識、時代劇の撮影現場での経験(テレビの2時間ドラマのタイムキーパー・記録係として4作品に参加)は“薄っぺらい”ものでしかなかったと反省をしました。
市川さんの人脈、私のメディア人脈を活かして、いろいろな方に合わせてもらっていると読むべきものは増えていき、過去の時代物の劇映画とテレビ番組の映像(当時はビデオがほとんど)を見るようになりました。
時代劇には歌舞伎の要素が重要で、実際に出演者には歌舞伎役者も多いことから、誘われるまま歌舞伎の舞台も頻繁に見るようになりました。
その成果を深めるには、劇映画と時代劇ドラマも見ておく必要が出てきて、新作にも次々と目を通していくようになりました。
時代考証は重要で、その文献である江戸時代の書籍、浮世絵も手当たり次第という感覚で見て回りました。浮世絵のほうは、当時住んでいた東京・原宿に有名な浮世絵専門美術館があったので、時間があれば(場合によっては時間がなくても)足を運んでいました。
時代劇に限らず、さまざまな情報が入ってくるようになり、参画もしていきましたが、メディアの企画は生活そのものの中から生まれるだけに、待合室の雑誌も訪問した会社の資料室などの書籍も、すべて勉強になることばかりで、そのような仕事のための勉強は東京にいた時だけでなく、東京から移住して8年になる今でも続いています。
しかし、今になって急に文字情報や映像情報には距離を置くようになっています。それは情報がネット時代になったからではなくて、見たくもない情報が大波のように押し寄せてくる中、こんなものは見たくなかった、こんなことに時間を使いたくなかったというものばかりになってしまったからです。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕