日々修行207 時代考証にこだわらない撮影現場

時代劇の劇映画とテレビドラマの企画者の市川久夫さんとの出会いが、趣味の範疇かもしれない世界を仕事にすることになり、楽しむはずの視聴が勉強になってしまったということを前回(日々修行206)書きました。

市川さんは「鬼平犯科帳」「剣客商売」「仕掛人・藤枝梅安」「雲霧仁左衛門」などを手掛けてきましたが、時代劇というと真っ先に思い浮かべられる「水戸黄門」にも大手広告代理店のテレビ部門の重鎮のルートで知り合って、長らく付き合いました。

時代劇の映像には時代考証が重要であり、江戸時代の文献や浮世絵で残されているものと、映画やテレビを通じて見る江戸の街は、実際には京都の撮影所や江戸っぽい雰囲気が残っている地域で撮影されます。

同じ町並み、同じセットを違ったように見せるのは技術者の腕前ですが、セットそのものの形を変えるわけにはいかないので、そこは映像の時代考証を緩やかにして撮影を進めていくことになります。

その例として、以前からよくあげられているのは井戸の構造です。江戸時代の水を汲み上げる井戸は、釣瓶(つるべ)式のものがほとんどです。井戸屋形に滑車が取り付けられていて、桶に縄を結びつけて引き上げていきます。

井戸は深くて、ガラガラと引き上げていくのが水汲みの当たり前のシーンとなっていますが、江戸の町場では井戸は長い柄杓(ひしゃく)で汲んでいました。江戸の町場は川から引いてきた水を水道管(石樋や木樋)によって井戸まで導かれていたからです。

水道管が浅いところに設けられていたので、釣瓶を使うほど深い井戸ではなかったのです。その井戸も四角ではなくて、底のない丸い桶を埋めて使っていました。その江戸の水道の起点となっていたのは、大学生のときに、よく通過していた駅名にもなっていた水道橋です。

水道のための専用の橋が架けられていて、私の大学生時代には橋を渡す石組みが残っていました。そのときの印象が、後に江戸時代の水道に関心を抱く要因となっています。

深い井戸は、江戸ではなくて地方のほうがふさわしいわけです。

その地方を巡る時代劇といえば諸国漫遊の「水戸黄門」で、街道などの外のシーンは、それらしく見えるところを使うとしても、家の内外のシーンは撮影所のセットの使い回しです。井戸も、その使い回しです。

「メディアの企画は生活そのものの中から生まれる」ということも前回、書きましたが、企画のヒントはメディア報道の中にあります。時代劇で取り上げる事件の多くは現代に起こっていること、話題になっていることをベースにして、それを江戸時代に置き換えて台本を作っています。

江戸時代の街の作りは、今でも数多く残っていて、理事を務めさせてもらった日本文芸家クラブの有志が始めた「江戸を歩く会」に参加して、時代劇の定番のシーンとの違いを、まさに歩きながら検証していました。

それが視聴者に通じる程度の違いなのか、それとも違和感がある違いなのか、その判断は現代を生きる人たちの感覚次第であるだけに、今を知ることが重要になってきます。という感覚で、メディア報道を今も見るようにしています。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕